『過ぎ去りし時を求めて』から妄想する

 今年発売予定のドラゴンクエスト11は、『過ぎ去りし時を求めて』というサブタイトルが付いている。対応ハードはPS4と3DSという、あまりに異色の組み合わせだ。

 私は3DS版で買おうと思っている。このサブタイトルから妄想するに、それが正解だと思っているからだ。

 どんな妄想をしているのか?という件だが、ドラクエの主人公として何度となく世界を救ってきた我々を時間を軸にしてメタな方向から刺しにくるのでは?と妄想しているのである。なので、オールドプレイヤーである私には、昔のドラクエを思い出すような2DとPS時代ぐらいの粗い3Dを並立させた3DS版が正解なのではないかと考えているのだ。

 それに、時間を軸にしたメタネタをやるとしたら、対応ハードをわざわざPS4と3DSにしたのも納得が行く。オールドプレイヤーには昔を思い出させる3DSを、そして新しい若いプレイヤーには今と過去を対比させるために新しいハードであるPS4を当てたのではないかと思うのだ。

 私はメタネタが好きだしドラクエも大好きなので、今からとても楽しみにしている。

過ぎる時は淡々として

 お正月だろうと、過ぎる時は淡々としていると思う。

 なのに賑やかなイメージがあるのは、自分が賑やかな場所に身を置くからなのだろう。そうして自分も賑やかさに貢献するのだ。

 だから、お正月の賑やかさは人々の集まりの賑やかさなのであって、人々のご縁の賑やかさなのだと思う。

 今、私の周りは静かで、人々の賑やかさからはちょっと遠くでこの文章を書いている。それは別に寂しいことではない。

 普段よりも人が集まって賑やかな場所ができるとしたら、普段よりも人がいなくて静かな場所もまた現れる。

 そうしたところで時が淡々と過ぎることを確認するのも、新年の過ごし方として悪くない。

 時の流れの平等さ、残酷さ、そして優しさは、年が新たまっても変わることはないのだから。

積み重なるもの

 大晦日だ。今年一年を思い返してみたくなる。が、思い返してみると案外いろいろ覚えていないものだ。

 しかし、本人以上にいろいろ覚えていてくれるものがある。それは、ウェブブラウザだ。

 閲覧履歴は案外簡単に消えてしまうけれども、どこのフォームにどんな言葉を打ち込んだのか、ということは割と長いこと覚えていてくれる。

 この文章を書き出す前に、とりあえずタイトルだけ埋めておくかと思いフォームに単語を入れてみると、前に使ったタイトルがサジェストされたりして、ああ、こんなこと前にも書いたのか、などと思い返したりする。

 そうやってウェブブラウザに自分の記録が積み重なっていることを目の当たりにすると、うむ、いいブログのネタができた、と思って文章を書き出すことができるのだ。

 これは、今年の振り返りとしてはちょっとピントがずれているかもしれない。

 でも、自分を振り返るのにはそんなに悪くない視点かな、と思う。

目的のない、私のブログ

 このブログは、目的のない、私のブログである。つまり、想定読者が存在しない。

 文章を書くときは、読者のことを考えるというのが第一であるが、想定読者が存在しないのだから考えようがない。この文章もそうだ。

 では誰のために文章を書いているのかというと、私のためである。自分で自分を整理するための文章を書いている。それをショーウィンドウに並べて楽しむのだ。そしてそのショーウィンドウが誰かに注目されないか、ドキドキする。

 このショーウィンドウの存在が、紙の日記ではなくインターネット上のブログであることの最大の意義である。誰かが見てくれるということが、つまり読者の存在が、ブログをブログたらしめている。

 けれども最初に言った通り、このブログには想定読者が存在しない。しかしながら、私は本当に誰も読まない紙の日記にこうした文章を書くかというと、断じて否である。誰かに見られているという意識が文章を変質させているのだ。

 これは、卵が先か鶏が先かという問題や、シュレディンガーの猫を連想させる。

 まぁそんなに難しく考えなくても、このインターネットの片隅に、誰かに見られるつもりで襟を張った、でも誰に見せるつもりかわからないてんでバラバラな文章を飾るためのショーウィンドウを持てることは、なんだか幸せなことのように思う。

 誰かが足を止めてくれないか、そんなことをワクワクしながら待つ気持ちは、まるで膨らみすぎたスポンジケーキのようにすぐにペタンコになってしまうけれど、焼きたての甘い香りが忘れられないから、また何かを文章にするのだ。

エンジェル・ハウリング  私解釈

 このエントリは、秋田禎信関連 Advent Calendar 2016 - Adventarの21日の記事になります。

 この文章では、精霊アマワは何者であったのかということを中心にして、エンジェル・ハウリングの諸々を解釈していきたいと思います。
 と思ったのですが、文筆力的に難しいので、私がエンジェル・ハウリングから読み取ったごく一面的な解釈を独善的に垂れ流す文章になります。乱文申し訳ないです。

 

硝化とは?

 アマワが何をしようとしていたのかを考える手がかりが、硝化という現象です。硝化とは精霊になることであり、精霊は心を持ちません。つまり、心の不在が証明されたものは精霊になるのです。
 アマワはすべてを奪っていく、とベスポルトは述べています。そしてアマワに奪われたものは硝化してしまいます。帝都が硝化したのがそれです。
 これらを総合して考えると、アマワは心の不在が証明されたものをすべて奪い、硝化させるという能力を持ちます。

 

アマワの目的はなんだったのか?

 これは単純なものを想像しています。アマワは存在したかったのです。この目的のために、アマワは契約者となります。
 アマワは、クライマックスで未来精霊アマワと自らの正体を晒します。この時に、私はまだ存在しないと発言しています。では、アマワはどうしたら存在できるのか?私はこれを、アマワがすべてを奪った時だと考えます。
 アマワがすべてを奪った時、というのはどのような状態でしょう?それはすべてのものに心の不在が証明された時です。アマワは契約者であり心の実在を証明するためにある、と自称しますが、アマワの本当の目的は心の実在を証明できなかったことにより世界のすべてを奪うことなのではないかと思うのです。
 このことを考えると、ベスポルトがアマワのことを、大切なものを侮蔑する存在と評する意味がわかります。アマワは人が心の実在を証明できないことを想定しながらこの契約に臨んだのです。それは、人の心はないものだと決めつけてかかる、とても侮蔑的な態度に他ありません。
 そしてベスポルトは、そんなアマワを否定するため、心の実在を証明するために契約者になります。だから彼は、人がアマワに勝てるのかどうかを疑問に思い、「我々は、お前を失望させることができるか?」と質問するのです。アマワを失望させること=心の実在を証明すること、であり、なぜ契約者アマワが心の実在を証明させられて失望するのかというと、アマワは本当は心の実在が証明されないことを望んでいるからなのです。
 そして、心の実在が証明されなかった時、不確かなものであるはずの未来は心による揺らぎをなくして確定し、未来精霊アマワは実存できるようになります。

 

アマワは失望したのか

 これは明確に是です。アマワはミズーとフリウに失望します。ミズー編でアマワがミズーに失望しているのは描写がわかりやすいですが、フリウ編でもフリウが「いつか来るなら来ればいい」「その時にまた失望するだけ」と述べています。
 ミズーとフリウはどうやってアマワを失望させたのでしょう?二人は、アマワにとって『契約の価値がない者』になったため、アマワを失望させます。この契約の価値とはどういう意味なのか?繰り返しますが、アマワは実際には心の実在を証明されたくなかった、そこから考えると、心の実在を証明しようとしながらもできない人物こそ、アマワにとって契約の価値があるものだったのではないでしょうか?
 そして、ミズーとフリウは信じることにより、アマワには奪えないものがあるということを証明して、アマワを失望させたのです。

 

アマワはなぜ心を奪えないのか

 ここが恐らく、エンジェル・ハウリングという物語の核心なのではないかと思います。心とはどういうものなのかということがアマワがなぜ心を奪えないのかという理由になるからです。
 これはとても難しい問題です。しかし、私なりの考えを述べさせていただくと、心は信じることでしか届かない領域にあるからなのではと思います。
 ベスポルトの賢者と愚者の話を思い出すと、賢者とは全てを疑うものとあります。同時に、全てを疑う者は全てのものに答えがあると信じる者でもあります。これは、イムァシア人であり、アイネストであり、そして精霊アマワ自身です。一方の愚者とは全てを信じる者とあります。確証がないものも信じることができるのが愚者であり、答えがないことを知っている者でもあるのでは?と思うのです。そして、答えが、確証がなくとも信じられる者は、ミズーでありフリウです。
 ここから考えるに、心とは、存在しないと知りながらも信じることでしか見つけられないもの、なのではないでしょうか?
 アマワは常に答えを求めています。常に疑っているから、信じることでしか見つけられない心はアマワの手に届かないものであり、アマワには奪えないものなのではないのか?と私は思うのです。

 

最後に、エンジェル・ハウリングと私について

 長々と語ってきましたが、もう少しだけお付き合いください。
 私は、とてもとても疑い深い人間でした。10年来の友人の友情ですら疑い、人に好意を寄せられてもそれを信じることができず、かえって人を傷つけるような人間でした。
 そんな私が信じることをテーマにしたこの物語に惹かれるのは必然だったのでしょう。
 思うに、信じることは愛することであり、愛されることです。言葉が伝わると信じることが愛することで、言葉を信じて受け取ることが愛されることだと、この物語を読んでから思うようになりました。
 そして、拙いながらもそれを実践しようとし、今のところ成功しているように思います。
 私は今、誇りを持って幸せであると言える、とても幸せな状態にあります。そうした私になれたのは、間違いなくこの物語に散りばめられた愛の言葉を信じて受け取ったからです。
 物語は人生を追体験できる素晴らしさを持っています。私はこの物語により、愛するミズーと、愛されたフリウ、両方を体験して、信じることができる私になれたのです。
 著者である秋田禎信氏には、感謝の言葉しかありません。ありがとうございます。

Twitter の過去履歴をカレンダー形式で閲覧できるアプリ

Twitter の過去履歴をカレンダー形式で閲覧できるアプリを作りました。

https://twical.herokuapp.com/

名前は暫定的に、略称 twical 名称 TweetsInCalender です。

このアプリは自分のツイートとRTを日付け別に表示します。

各個人のツイートのIDはデータベースに保存しますが、ツイートの中身は保存しないように出来ています。

また、他人のツイートをカレンダー形式で閲覧することも出来ません。

今のところ、自分のツイート履歴だけ見れるアプリです。

 

今出先なので、帰ったらもう少し詳しい解説を付け加えます。

Gmailに送ったはずのメールがスパイサイトに送られてしまう危険性

 先日、私のGmailのアドレスにメールが送られたはずだが届かなかったという出来事があった。送信者の方に確認をしてみると、メールアドレスを間違えた時に返信されてくるエラーメールが届かなかったので、ちゃんと送られているものだと思っていた、とのこと。なので、送信したメールを確認させていただいたところ、メールアドレスの@マークの後ろのgmail.comの部分から、エルが抜けていた。なので、結局はメールアドレスを間違えていたから届かなかったという話だったのだが、気になることが一つ。

 なぜ、メールアドレスを間違えていたのにエラーメールが返信されなかったのか?という点だ。

 可能性としては、間違いだったドメイン(メールアドレスの@マークより後ろの部分のこと)が存在するかもしれないということだ。

 なので、物は試しにウェブブラウザから件のドメインにアクセスしてみたところ、アンチウイルスソフトが作動し、スパイサイトだと判定されてしまった。これで悪意を持った人間がそのドメインの持ち主だったということがわかった。つまり、最初に送られたメールは悪意を持った人間に渡ってしまっていると考えるのが順当である。

 試してはいないが、他にもgmailの打ち間違いのドメインが悪意を持った人間に確保されているだろう。gmailの他に、yahooのものもあるかもしれない。

 流出したら困るメールをgmailドメインのアドレスで直接やりとりをしている人は少ないかもしれないが、よくあるフリーメールに重要なメールを送る時は、@マークの前だけではなく、後ろも間違えていないかよくよく確認する必要がある。

 皆様もどうかご注意を。