なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

最初に読んだ漫画

 記憶の中にある一番最初に読んだ漫画は、黒鉄ヒロシ氏の『赤兵衛』だ。父がビッグコミックビッグコミックオリジナルを毎号買っており、それに載っていたのを読んだのだ。何歳の頃かは正直ちゃんと覚えていない。

 漫画の読み方を父に訊いたとき、父がちゃんと教えてくれたのを覚えている。

 「1段目を右から左に読んでいって、端まで行ったら細い白い部分を左から右に戻って行って、二段目をまた右から左に読んでいくんだ」

 そんな風に読み方を教えてくれた。

 というわけで私はなかよしを読むよりも早く、ビッグコミックビッグコミックオリジナルの読者になったのである。小学校2、3年生の頃には父が毎号買ってくるのを楽しみにしていた。

 もちろん大人向けの話ばかりなので、子供心に理解できた話は少なかったと思う。本当に読み始めの頃は赤兵衛が一番楽しいと思って読んでいた。

 しかし漫画の力は恐ろしい。わからなくても印象に残るシーンは数あるのだ。例えばかわぐちかいじ氏の『YELLOW』の最終話などが結構印象に残っている。それと、ゴルゴ13エボラ出血熱の話はものすごく怖かった。

 それから徐々に興味の幅は広がり、『家裁の人』や『おかみさん』などを楽しみにしていた。『玄人のひとりごと』も麻雀用語がわからないながらも爆笑していたし、『MONSTER』が始まった時にはこれヤバいと真剣に思った。ちなみに、『風の大地』でリリィが死んでしまった件については本気で作者を恨んだものだ。

 小学校高学年くらいになってくると浮気雲の凄さにも気付きはじめ、、だからこそ少年ガンガンで『ドブゲロサマ』が始まった時にはガンガン編集部もヤバいと思った。

 まぁとにかく、私の漫画遍歴はその多くの部分がビッグコミックビッグコミックオリジナルで出来ているのである。

 あの時、私の手から『赤兵衛』を取り上げずに漫画の読み方を教えてくれた父には、心から感謝している。

賢いとか愚かとか

っていうキーワードは、自分の中の地雷だなぁ、と思う。
賢い人はこういう人だ、みたいな意見を目にするだけで、心が曇る。なぜなら、そういう人が「愚かな」人々を差別しているように見えるからだ。
そう見えるだけで、実際に差別をしているわけではないのかもしれない。
でも、差別ってする側には自覚がなかったりするものこそ根が深いとも思う。
そしてそうした差別に対し、個人的な反論は2点ある。
まず、目に見える範囲では愚かでも、目に見えないところに聡明さがある可能性を否定できない、ということ。
もう1点は、仮に全ての面で愚かであるように見えても、それがその人の尊厳を奪うものではない、ということ。
どんな人であっても自分の意見を尊重され、その意見があること自体を否定されない権利があると思う。

なぜそう思うのかというと、人の尊厳は知性ではなく生きているということ自体に依っているからだと考えているからだ。

まぁ、冷静に書けばそんな感じなのだけれど、これはこれで自分が他の人を値踏みしているような書き方で違和感がある。
けれども、こういう書き方をしないと賢い人には伝わらない気がしてしまう。
本音をそのまま正直に書けば、「バカをバカにするな」なんだけどね。

サンデープログラマが考える、プログラミングの高い壁

 どうも、最近になってサンデープログラマを自称してもいいかなと思っているKZEです。

 まず、職業的プログラマではありません。けれども、日々を便利にするために、好き勝手にプログラミングをしています。Excel + VBAで入力フォームを作ったりとか、jQuery + canvasJSでドラクエ10の鍛冶職人サポートツール(DQX鍛冶職人ダメージチェッカー)を作ったりとか、Ruby on RailsでTweet履歴をカレンダー形式で表示するウェブアプリ(TwiCal)を作ったりとか、割とやりたい放題です。GitHubアカウントはこちら>rotelstift · GitHub

 なぜ職業的プログラマではないのかというと私の人生に関わる長い話になるので省略しますが、プログラミングは好きだと言えます。

 さて、このエントリで何を言いたいかというと、みんなもっとカジュアルにプログラミングできたらよくね?ということです。というわけで、このエントリはCUIGUIなどといった専門用語はなるべく使わない方向で、プログラミングを知らない人でも読めるように書きたいと思っています。

 夫が職業的プログラマということもあり、職業的プログラマの知り合いは多いですが、一方でプログラミングとは全く縁のない知り合いも多いです。

 しかしそうしたプログラミングとは縁のない知り合いでも、パソコンを使っていない人はまずいません。これはとてももったいないことのように思うのです。

 そうした人たちがプログラミングを始めるのに、何が一番高い壁なのか?そんなことを時々考えますが、それは最近の高度化したコンピュータ環境そのものなのではないのかと思います。

 例えば、プログラミングを全く知らない人がプログラムを作りたいと思った時、それがテキストだけで完結するものであることはまずありえないでしょう。必ずと言っていいほどまずウィンドウが出てきてといった何かしらのグラフィカルなものを連想しているはずです。

 様々な開発環境の充実により、グラフィカルなものを扱うプログラムを作る難易度は下がってきています。それでも、WindowsならコマンドプロンプトMacならターミナルといったテキストだけの環境で動くプログラムを作る難易度と比べたら、グラフィカルな環境で動くプログラムを作ることは格段に難易度が高いです。

 けれども、プログラムを全く知らない人がコマンドプロンプトやターミナルを見て、難しそうだと思わないわけも又ないと思うのです。

 プログラミングは今のところ、このギャップを何らかの手段で超えられた人だけのものになっていないかと感じています。

 このギャップを埋める手段として理想的であり、今目指されているものは、グラフィカルなものを扱うプログラムを作る難易度をさらに下げる、というものでしょう。しかしそれにはまだしばらく時間がかかりそうです。

 そうではなく、今プログラミングを始めたい人に対してはどうしたらいいのでしょう?

 個人的には、遠回りにはなってもコマンドプロンプトやターミナルといった、テキストだけの環境を学ぶことから始めたほうがいいのではないかと思います。そのほうが、小さい問題から取り組めると思うからです。

 例えば、1から100まで表示するプログラムを作るときに、テキストだけの環境ならば1を表示して次は2を表示して…、とやることはシンプルですが、これを『普通の』プログラムのようにするには、まずウィンドウを表示させて、そのウィンドウの中に文字を表示するスペースを確保して、その中に1を表示して2を表示して…、とやることが途端に煩雑になります。

 大きな問題を小さな問題に分解して、小さな問題の答えを組み合わせて大きな問題を解く、というのはプログラミングをする中で非常に重要な考え方になります。

 けれどもその手法を扱うには、小さい問題とはどのくらいのもので、それらをどうやって解けばいいのかということを学ぶ必要があります。そしてそれを学ぶのにはテキストだけの環境のほうが有利だとおもうのです。

 でもこれは、私の体験談から出てくる話なので、もっと別のアプローチからプログラミングを始めて楽しんでいるよというお話や、こういうやり方でプログラミングを始めようとしたんだけどうまくいかなかった、というお話などがもしあったら聞きたいなぁと思っています。