なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

らき☆すた+涼宮ハルヒの憂鬱に見るアニメーションの未来

D
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3613437をみた。すごい高画質で、迫力と発想力のあるいい動画だ。ここまで手描きの2Dアニメーションに迫る表現を3Dでやってしまうとはもの凄まじい。おそらく世界最高峰の技術だ。けれどだからこそその一方で、現在の3Dアニメーションの限界というものも感じた。
 2Dアニメは動きの迫力を出すために、動いてる部分に残像をつけたり極端なパースを一部にだけ入れたり、場合によっては残像しか描かなかったりと、わざとデッサンを違えた絵を描くことがある。また、止め絵に近いものであっても、デッサンとしての正しさよりも絵としての面白さを優先させることもある。分かりやすいのはガンダムSEEDの絵などに代表される鼻周りの影や、らき☆すたのOPの最初、ダーリンフリーズという歌詞でこなた達がこちらに手を向けるポーズをとっているときの手などだ。立体的に考えるとそこにそんな影は出来ない、手や足が普通に描かれている場合よりも大きい(もしくは小さい)、というアニメ絵はたくさんある。けれども絵的にはそれで正しい、というよりも面白い。だから是とされているのだ。そうした職人の感の効き所というのを、今のところ3Dで表現するのは非常に難しいのだ、ということがこの動画を見たことで分かった。
 しかし、将来的には3Dで作ったポリゴンモデルに2Dの絵の柔軟さを持たせることは可能になるだろう(特殊な光源処理が最後まで問題になるとは思うが)。けれども、今現在3Dで2Dを再現しよう、という流れがあることは、2Dの絵描きにとっても希望である。3Dにおけるデッサンの正確さが必ずしも絵的に面白くないということが大いに認識されているからだ。その時、どうやって3Dを2Dに近づけるのか?といったときには、2Dの感性が間違いなく必要なのだ。将来的には日本のアニメーターですら、3Dのポリゴンモデルをいじるという仕事になるかもしれない。けれども、そのポリゴンで作られた絵に日本のアニメの動きの楽しさを加えるのは、日本の2Dの面白さを存分に学んだアニメーターにしか出来ない。
 上手くまとまらないが、アニメーターには未来があるんだ!絵を描くツールが今までと大きく変わってしまったとしても、その魂までは変わらないんだ!ものが歪みながら動くことによって生まれる2Dアニメの動きの面白さは永久に不滅です!!