なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

【ネタばれ】スカイ・クロラ観てきました

 面白かったです。原作を読んでいてもシリーズの3巻くらいまで、映画の原作になったスカイ・クロラはもう読んだのは5年くらい前といい感じに話を忘れていた頃に観に行きました。森博嗣は結構好きな作家の一人なのですが、このスカイ・クロラキルドレの設定がわかりにくく、あまり話に入り込めずにほっぱっといたシリーズなのですが、しかしあの森博嗣が自作の映像化を初めて褒めたということで観に行ってきました。
 面白かったです。
 森博嗣が本気を出したときに表現されると勝手に思っている、一種の厭世的な空気が非常によく再現されていたと思います。話自体も原作より分かりやすくなっていて間口が広くなっていると感じました。更にパンフの解説まで読めば、お話の分かりやすさはばっちり!でも、やっぱり話全体を綺麗に理解することは出来ませんでした。特にキルドレはどんな存在なのかはっきりとは分かりませんでした。子供から育って途中で成長が止まってしまうのか、それともあの思春期の姿のまま生まれてくるのか、ここがはっきりすればもっと分かりやすかったと思います。
 でもこんなこと言っといてなんですが正直な話、そんなキルドレがどうやって生まれてくるのかはこの映画においてはどうでもいいのです。必要な設定は、彼らはどうやら殺されない限り不老不死らしいということと、彼らの記憶は曖昧で、生まれ変わりのようなものを体験してまで空で戦い続けることを繰り返す子供であること、それだけでいいのです。
 そして、そうした曖昧な世界が作り出す空気感こそがこの映画の面白さだと感じました。全編通して心地よい緊張感が銀幕を支配していて、見ていて全然飽きませんでした。この空気感を体験させてもらえただけでもう満足です。
 ただ、一緒に行った友達は観たあと、何がなんだかさっぱり分からなかったと言っていました。そんな訳で見終わったあと友達から質問攻めにあったのですが、私も話を完璧に理解していた訳ではなくて二人して訳分かんなくなってました(^^;)。
 個人的に最後に気になったのは、ティーチャと函南の関係です。瑞季の父親はティーチャであるらしいということは分かります。そのティーチャと水素の間の恋愛は、ティーチャがロストック社を、水素が空を去ることで終わったようですが、水素が未だにティーチャに並ならぬ関心を抱いていることは途中水素が無理にティーチャを追いかけて行ったことから分かります。けれどもそんな水素は函南も同様(?)に愛する訳です。これは函南とティーチャが全くの別人であるとするとちょっと納得がいきません。という訳で、栗田や函南らとティーチャの間には特別な関係がありそうなのですが、それが今になってもよく分かりません。でも、単純に水素は意外と恋多き少女というだけの話なのかもしれません。
 というわけで、時間が出来たら原作をちゃんと読み直そうと思います。そもそも私の曖昧な記憶の中では原作には瑞季という娘はおらず、函南が水素の息子だったということになっていますので…。ホント、ちゃんと原作読みなおさにゃならんです。

【追記】スカイ・クロラ読み返しました