我が呼び声に応えよ獣(読みかけ)

 フタゴ・フラクタさんのこの記事、秋田禎信『我が呼び声に応えよ獣』読了 / オーフェン再読(01)を読んで、私もオーフェン一巻にあたるこの本を読んでみようと思いました。
 何せ私の中でのオーフェン完璧超人。自分の面倒は自分で見れるし他の人の面倒まで見る余裕があるしあまつさえ20という若さで弟子まで持っている。オーフェンと同い年になったとき、オーフェンよりも年上になったとき、いつも思いました。なんか私、オーフェンみたいな大人じゃない、って。自分の面倒すら自分で見切れていない、友達を上手く支えてやることも出来ない、子供じゃないかと。
 そして今第2章の最初の回想シーンが終わるまで読んだのですが、この時点で既に胸に痛いものが走ります。なんだ、オーフェンにも周りが見えていない子供の時期があったんじゃないか、そしてid:rindoh-rさんのご指摘の通り、彼はまだそこから抜け出せていない。だからこそ一章の最後で魔獣と遭遇したとき、ああも簡単に僕に戻れた。
 正直、この先を読むのは気が重いです。特にエンディングなんて読みたくありません。あそこでアザリーは、間違いなくオーフェンにとっての天魔の魔女でした。オーフェンが自分の全てを捨ててでも護った純粋な想い、それをあんな台詞でぶちこわしてくれるとは。


 個人的で勝手な思い込みですが、あそこでオーフェンがアザリーを殺そうとしたりせず、またその後もアザリーと向かい合うことができたのは、真相が分かってある程度時間が経ち、心の準備ができていたからもあるんでしょうけど、でも彼なりに彼の恋は本物だったと認めてあげることができていたからなのではないのだろうか?と思います。彼が恋したアザリーは、彼が思っていたようなアザリーではなかった(それを見抜くことができなかったのは、中二だから仕方ない)けれども、でも彼が恋した相手は偶像だったとしてもその恋した気持ちだけは決して偽物ではなかったんだとオーフェン自身が認めていたからなのではないかと思うのです。というか、そうであってほしい。その気持ちすら偽物だとオーフェンが思っていたなら、彼はきっと旅立てなかったでしょうから。本当に、個人的で勝手な思い込みですけど。
 これ書き終わった後に軽くエンディング斜め読みしてみました。思いっきり的を外してますね、この意見。やっぱりしっかり再読します。


 これを読み終わったら次は5巻、我が過去を消せ暗殺者を読もうと思います。うわ、「哀れな、俺」とかクライマックスを思い出すだけで泣けてきた。少年期をようやく終え、アザリーのことをようやく胸に秘めることができるようになったばかりのオーフェンに、当のアザリーから少年だった頃の自分が差し向けられてくる。これだけで燃えます。その差し向けられてくる『キリランシェロ』の性格がまたオーフェンの嫌なところをぐりぐりえぐるんですよね。それをどうやって乗り越えるのか、これを読んだ中高生の頃の私には見つけられなかったものが見つけられるといいと思ってます。


 そしてこんだけのものを、若干20、21歳で書いた秋田禎信は本当に神です。