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暴力

人間は利己的な生き物ですが、群れを作って生きる本能もあるわけで。でも群れの本能がもっと強かったなら、モラルや法律なんかきっと必要ないのになあ。あらかじめ本能に組み込まれてて。人間のバランスは不思議です。
堤抄子 アダ戦記4巻より

 という言葉を、児童ポルノ規制についてのエントリを読んで思い出しました。
 暴力って怖いです。もし私がとんでもない暴力の現場に巻き込まれたのなら、まず真っ先に相手の目を潰そう、と心に決めています。難を逃れる可能性が高くなるだけではなくて、その後の復讐も高い確率で防げると期待できるので、そう決めています。それで自分が投獄されることになったってかまいません。のほほんと暮らしている癖にこんな怖いこと考えている自分が少し怖いですけど。

 今の日本では、暴力はほとんど目に見えません。そして、アニメマンガ大国である日本は物語であふれています。その物語の多くが戦う物語です。その戦いは、九割九分九厘暴力の闘いです。

 暴力とはなんなのでしょう?

 まず、暴力の特徴としてあげられるのは、人を傷つける力である、ということです。では、人を傷つけられるとどんな利点があるのでしょうか?その利点は、人を支配できる、という点が真っ先に上げられると思います。ならばなぜ人を傷つけられると人を支配できるのでしょう?それは、人には生きたいという本能があるからだと思います。暴力というのはその本能を非常に簡単かつ直接的に刺激します。このまま暴力を受け続けると生きていられなくなってしまうという現実があり、自分が相手に屈服することでその暴力が止まると期待出来るのならば、多くの人は本能に従って生き延びることの出来る選択をとるでしょう。暴力の利点は人間の本能によって保証されているのです。この保証がある限り、人類が暴力という手段を完全追放出来る日は来ないでしょう。

 続くかも。