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『頭のいい』人 〜無自覚な飛ばし屋はなぜ生まれるか〜

 私は物心がついたくらいの頃からある時期までずっと、自分は頭がいいと思い込んでいた。幼稚園生の頃にはもう新聞のテレビ欄で自分の見たい番組を調べることができたし、自分が『知っている』ことを他の子どもは知らないことが多く、周りから頭がいいと言われ始め、自分は頭がいいと思い込んだ。
 この思い込みに疑問を持たなかったのは、自分の推測が当たるものだと実際に何度も何度も経験したからだ。例えば小学生の頃に担任教師から、「良薬口に苦し」ということわざの意味を知っているか?と尋ねられたことがある。私が「いい人は厳しい」と即答すると教師は驚いて誰に正解を聞いたんだ?と聞いてきた。「そのことわざを聞いただけで分かる」と答えると、教師は絶句していた。けれども実際私は誰に聞かずともそのことわざの意味がわかったのだ。こういうことは度々あり、だから自分の推測に自信を持ち、それがまるですでに事実であるかのように話す。それが実際に当たり、周りからますます頭がいいと評価される。自分も頭がいいと思ってしまう。
 そんなことを続けるうちに自分の『推測』が全て事実であると思い込み、あくまで推測であるということを忘れてしまっていた。そして私は、立派に無自覚で悪意は無いがプライドは高いというはた迷惑な飛ばし屋になった。
 まぁそんなはた迷惑な飛ばし屋にはなったが、私は幸いながらそれを続けていけるほど『頭のいい』奴ではなかった。私が事実として話すことが間違っていることもあることに私の周りの人は気づき、そして陰で白い目で見てくれた。それは私が成長するにつれて多くなっていき、私自身も幸いにして「あれ?私の話信じてもらえてない?」ということに気づくことができ、さらに統合失調症にかかって精神と同時にはた迷惑な飛ばし癖も破壊され、平静を取り戻してもその悪癖をも取り戻すにはいたらなかった…、と思う。でも、私よりも頭が良くて自分の推測に自信を持ち続けたまま大人になって、もうその思い込みをなかなか直せない状況になっている人はそれなりにいると思われる。

 今になって思うが、推測力(想像力と言ってもいいかも)があるということは頭の良さの大きな1要素であることは確かだろう。推測力があるからこそ警察は犯人を捕まえられるし、エンジニアは新しいものを作ることが出来る。しかしバカと天才は紙一重という有名なことわざがあるが、両者を分けるたった一枚の薄紙は、『推測は推測に過ぎない』ということを自覚した行動が取れるかどうかだと私は思う。
 ネットには単なる推測をまるで事実であるかのように書いた飛ばし記事やつぶやきが溢れ、それに煽られてしまう人も見受けられる。特によく知らない専門分野になるとその傾向が顕著に現れる。事の真偽を見分ける目を持つというのは難しいけれども、専門家でもないのに専門分野を語る人はまず怪しいと思って間違いないだろう。専門家でもないのに専門分野を語れるのは自分の推測に絶対の自信を持っているからだが、その時点で既に飛ばしてる。もしそれが正しかったとしても、それは目を開けて打った当てずっぽうが当たっただけでで、決して訓練された射撃の結果ではない。
 ちなみに、『推測は推測に過ぎない』ということを自覚しつつも人を煽るヤツは悪い人。