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民主主義はインターネットによって完成するのか?

 今の日本は間接民主制だと、中学校だか高校だかで習いました。古代ギリシアなどでは直接民主制であったけれど、小さなコミュニティならともかく現代の国のような巨大なコミュニティを直接民主制で支えるのは無理があり、次点として間接民主制を採用している、だったか。間接民主制の特徴は、選挙により市民の意見を代弁する議員を選出しその議員に直接政治をしてもらう、というものだったと思います。市民が直接政治を行うわけではない、という意味合いで間接民主制と言っているのですね。

 ところで最近、匿名ブログに書かれた『保育園落ちた日本死ね!!!』というエントリーが国政の場にまで届いた、という出来事がありました。これは個人的に画期的なことだと思います。間接的にしか政治に関われない市民としては、自分の声を拾ってくれる人を探して支援なり投票なりして議員さんになってもらう、というのが今まででした。しかし、今回の件ではどの政治家に宛てたわけでもないエントリーが議員さんに拾われている。向きが逆です。画期的ではありますが、果たしてこれは良いことでしょうか?

 私としては、間接民主制の原則に照らし合わせてみると、必ずしも良いこととは言えない面があると思っています。議員というのは市民の要望や支援があって初めてその立場に立つものであり、まず議員という立場にあって市民の声を選ぶというのは方向が逆になっていて君主制と構造的な差異がありません。一方で、まず議員がいて市井の声を選び政治に反映していくというスタイルは、迅速な政治を実現できるという面においてメリットがあります。

 情報の伝わりはインターネットの登場により劇的に加速しました。問題の顕在化も非常に速くなったのです。選挙を待てないくらいに。現代の政治はこのインターネットがもたらす情報の高速化についていく必要があるでしょうか?それは間違い無くYESでしょう。インターネットの出現により世界が改変されつつある今、政治もそれとは無関係ではいられません。しかし、政治はそんなに高速化できるものでしょうか?それは非常に難しいと言わざるを得ません。民主主義というのは時間をかけてでも市民にとってのベターを探す政治体制だからです。

 けれども、市民の間の合意が短期間で取れるようになったとしたらどうでしょう?ベターが今よりもずっと早く見つかるようになったら?それを実現するツールとして考えられるのは、やはりインターネット以外にないと私は考えます。市民が政治に参加するための新しいツールになりつつあるのは、今回の匿名ブログ、そしてそれに伴う議論の広がりが証明しているでしょう。

 インターネットがもたらす情報伝達の高速化を民主主義の政治が取り込むには時間がかかるでしょう。いえ、時間をかけるべきです。短絡に大きな声ばかり拾うようなシステムになっては困ります。

 そして、インターネットを取り込んだ民主主義政治は、きっと今よりも直接民主制に近い形になるでしょう。市民と政治が近くなるのです。それを市民が覚悟と共に受け入れるまでにもきっと時間がかかると思います。

 より良い政治を探すのが民主主義ですが、それだけではなくより良い民主主義を探す歴史のターニングポイントが、今、訪れているのだと私は感じています。