『見てもらえないこと』が数字化される世界

 ブログ、小説、絵、なんでもいいです。作品を作る人にとって、それを発表して何かを得るというのは非常に大切ではないでしょうか?
 ネットのおかげで作品を発表する機会というものを得るコストは非常に下がりました。そして同時にネットには『数字』がついて回ります。つまり、作品をどれだけ見てもらえたかがすぐに分かるのです。
 このことは裏を返せば、ネットのおかげで作品を『見てもらえないこと』が数字化されてしまっているということです。
 これは作品を作る側の気持ちとして、非常に厳しい。
 けれども作った作品がたくさんシェアされる人というのは本当に一握りなわけです。ほとんどの人は、自分の作品を『見てもらえないこと』を表す数字と直面している。
 しかし、それでもネットにはたくさんの作品が発表されます。みんな『見てもらえないこと』にめげてない。いえ、実際にはめげてるかもしれないけど、それでも作品を作るのをやめない。
 これって、とても素敵なことだと思うのです。
 『見てもらえないこと』が数字化される世界だからこそ、見てもらえなくてもやめないこともまた見えてきます。
 見てもらえなくてもやめないこと自体を心の支えにするというのは、ある意味とても弱いことかもしれません。人に見てもらえて初めて作品は作品たり得る、そこまで至らないのは作品ではないというご意見もあるでしょう。
 しかしそれでも、ものを作るということ自体が楽しいですし、反応を恐れず作ったものを発表するという気持ちには敬意を払いたいと思うのです。