なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

私たちが守るべき約束と正しさを求めることについて

 他人に正しさを求める生き方は辛い。 他人は自分ではないので同じことを正しいと思わないかもしれないからだ。
 けれども、辛いからといって何もしないことがかならずしも賢いとは言えない。 自分の身の回りで自分の考える正しさが行われないことそのものが辛いことだからだ。
 もし、周りで間違っていると思うことがありそれが辛くて正したいと思ったら、声を上げる以外の方法はない。
 時々、その声を上げること自体を非難する人を目にする。 「あなたの正しさを他人に押し付ける権利をあなたは持っていない」 などという言葉だ。
 その言葉は正しい。誰も自分の正しいと信じるところを他人に『押しつける』権利は持っていない。
 しかし、自分の辛さを解消したいのならば声を上げる以外の方法はない。
 肝心なのは、声を上げる側は自分の要望が受け入れられて当然だとは思わないこと。 声を受け取る側は、仮に要望内容がとても受け入れられないことだったとしても、その人が要望すること自体を悪とは思わないことだ。
 なぜなら、私たちは互いを尊重しあう必要があるからだ。そしてその態度こそがお互いの平等を約束するものなのだ。
 平等とは約束によって作られる。お互いにその約束を守ることでしか作られない。我々は天の元に平等であるが、それを履行するのは天ではない。人だ。
 お互いにその約束を守ることが、正しさについて話をする最低条件なのだろう。