漫画『ルックバック』の修正点について

 漫画『ルックバック』で描かれる無差別殺人犯の描写が修正された。

 この修正、二つの異なる文脈で語られている。一つは京都アニメーションで起こった大量殺人事件に配慮したという文脈、もう一つは犯人が統合失調症患者であることを想起させるため配慮したという文脈である。

 この修正がどちらの文脈によるものなのか、公式にははっきりとされていない。

 私としては、後者の文脈でこの修正について語りたい。なぜならば、私自身が統合失調症患者であるからだ。

 修正前のルックバックにおける無差別殺人犯の描写は問題だと思っていた。なぜなら、妄想や幻聴を抱いた人間が大量殺人を犯すという点において、統合失調症の主な症状である妄想・幻聴が大量殺人の引き金であるように描写されており、それはすなわち統合失調症患者は大量殺人を犯しかねないという偏見を広めるような描写であったからだ。

 そして修正後では無差別殺人犯の描写から妄想や幻聴を示唆する描写は消えており、私はこの修正に安堵した。

 しかし、この修正をめぐる論については安堵してはいられないと思い、このブログを書いている。

 何に危機感を抱いているかというと、あの修正が統合失調症患者に対する配慮だったという文脈を踏まえているにもかかわらず、その修正を非難する声があることについてだ。

 修正をさせた声をクレーマーのものだというのはまだ序の口でしかなく、あの修正をさせたクレームこそが統合失調症の症状である妄想によるクレームだろう、などという発言まであった。

 なぜ、統合失調症患者の抱える妄想・幻聴という特徴的な症状が人を殺すと示唆されているものを偏見を助長する表現だと主張することがクレーマーの声と理解されてしまうのだろうか。あまつさえ、なぜその受け取り方自体が妄想的だなどと侮辱されなくてはいけないのだろうか。

 本当の差別は、ルックバックの表現に照らし出されたこうした声にこそあるのだ。

 まず、なぜあの表現の修正を望んだ統合失調症患者やその関係者の声を、文脈を理解しながらクレーミングだと受け取る人がいるのだろう?表現の修正を望む声が通るよりも表現が曲げられてしまう方が問題だという人もいた。

 きっとそう思う人々は、想像もしたことがないのだ。告げられた病名が、何をするかわからない人間の代名詞のような病名であり、その病名ゆえに自分自身も自分を信じられなくなる、そんな思いをしている人間がいるということを。まぁ、こんなことまで想像なんてできないだろうけど。

 でもせめて、差別されることを、差別が広がることを恐れる心に対して、無理解をそのままぶつけるのではなく、自分が差別される側だとしたらという想像を少しでも働かせることはできなかったのだろうか。他人に期待してはならないとはよく言うが、それでも思わずにはいられない。

 そしてそれよりもはっきりと怒りを覚えるのが、あの表現の修正を望むことが妄想の症状によるものだろうという侮辱の声である。

 なぜ、他人にも伝わる程度の普通の考えを、統合失調症患者が考えたことだからという理由で妄想だと言われなくてはならないのか?統合失調症患者に正気はまるでないと言わんばかりのド直球の差別で流石にげんなりする。どのような声をかければこのような差別主義者に考えが伝わるのか、まるでわからない。何せ相手は私たち統合失調症患者には正気なんてないと思い込んでいるのだから。

 もう一つの侮辱として、修正後の犯人像は修正を望んだ人間自身を表す皮肉になっている、という意見がある。

 差別が広がることを恐れ、行動した人々を殺人犯だとみなすのはなぜなのだろう?素直に考えると修正を望んだ人々によって殺された何かがあるということになるけれども、それがルックバックという作品だったのだろうか?あの作品の価値は、差別を助長しかねないあの表現にこそあったという意見なのだろうか。

 私には正直、ルックバックという作品の良さがわからない。だから、この点については相手の主張の妥当性がよくわからない。

 だがせめて、殺人犯に例えられた人はいい気はしない、という程度のことはわかった上での発言であってほしいと思う。決して「裏の意図を読める自分は賢い」程度の浅薄な考えではなく。

 最後に、統合失調症の特徴的な症状である妄想・幻聴は、何も知らないでいると大変に怖いものだと思う。その点については否定しない。しかし、そうした特徴的な症状が常に他人に向いているとは限らない。私の場合では自分に対して「お前は首を切れ」という声がずっと聞こえており、他人に向いたものではなかった。また、こうした特徴的な症状は陽性症状と呼ばれているが、これには薬がよく効き、治療を受けながらもこうした妄想・幻聴が固定化されてしまう人は稀である。また、こうした陽性症状を乗り越えると今度は陰性症状という、とにかくやる気が起きない状態に(多くは数年単位で)陥るが、これも統合失調症の症状の一つである。この陰性症状も乗り越え陽性症状が再発しなかった場合、寛解と呼ばれる状態になるが、これはほぼ完治と同じような意味合いである。統合失調症には再発の危険があるため完治とは呼ばないし、寛解でも再発防止のために薬は飲み続けなくてはならないが。

 何が言いたいかというと、統合失調症患者の中で他人に対して危険な状態にある人は、あなたが考えるよりもずっと少ないということである。

 どうか、病名で人を見るのではなく、その人の行動で判断をしてほしい。普通の人を判断するのと同じように。

習慣を変えるためのやったことリスト

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習慣を変えるためのやったことリストテンプレート

私にはなりたいものがいくつもあります。

それは大学生の頃まで体重を戻すことだったり、チョットデキルプログラマだったり、お絵描きがもっと上手くなることだったりです。

しかしこれらの共通点は、今日なりたいと思ったから明日なれるというものではなく、毎日少しずつ行動を積み立てていくことでしかなれないものだと言う点です。

つまり、生活習慣を変える必要があるということです。

しかし、生活習慣を変えるのは難しいと感じています。今まで何度ダイエットを誓っては挫折したことか。

そんな中で、あるアイディアが閃きました。やったことリストを上手く使って生活習慣を変えられないかと。

普通のやったことリストはやったことしか書きません。しかし、習慣を変えるためのやったことリストはちょっと違います。

まず、新しく取り入れたい生活習慣をToDoリスト形式で書き出します。

次に、もうやめたい生活習慣もToDoリスト形式で書き出します。

その二つを合わせたものが、習慣を変えるためのやったことリストです。

毎日そのリストのコピーを作り、そこにやったことのみチェックを入れていくのです。

最初のうちはもうやめたい生活習慣にばかりチェックがついて嫌になるかも知れませんが、それが狙いです。

そうしてやりたいこと、やめたいこと、両方にやったかどうかのチェックをつけることで、毎日の意識を変えていくのです。

これを実践するのに個人的なおすすめツールはNotionです。

これでカレンダータイプのデータベースを作り、そこに生活習慣を変えるためのやったことリストをテンプレート化して置いておくと、毎日そのテンプレートを呼び出してやったことにチェックを入れるだけという使い方ができます。

効果の程ですが、私も正直これ今日思いついて始めたばかりの話なので効果あります!って断言できないんですが、でも効果ありそうなので、先に記事にしておきます。

続報がなかったら笑ってやってください。

 

過去のことは忘れたい

過去のことを引きずらず、常に今の自分として生きていきたい。

私は物心ついた頃には自分を不当に扱う母に対して強い恨みを持っており、思春期にはこの恨みを忘れたら自分は自分ではなくなると思っていたが、今となってはその恨みを大体忘れている。記憶としては残っているが、感情としては忘れてしまった。

それで私は私ではなくなったのかというと、そんな感じはしない。もちろん、自分が過去の自分と変わってしまってもそれを認識するのは非常に難しいので、もしかしたら本当に変わってしまったのかも知れないが、それでなんら不都合は感じない。

であるならば、私はなるべく過去の感情を忘れて生きていきたいと思う。

私は今、既に過去の私ではない。それなのに、過去の感情に引きずられていると、今の私と関係を築いてくださっている方々に思いもしない失礼を働いてしまうと思うからだ。

過去は過去で何も変わらないのだから、出来ることは忘れることだけだ。

かつて読んだ漫画に人は忘れるから生きていけるという言葉があったが、それを読んだ10代の頃の私はこの言葉はウソだと思った。母に対する恨みが忘れられない。それで生きるのが辛いのではないかと。しかしあれから20年、今は忘れている。そして、かつてほど生きるのは辛くない。だから、今となってはあの言葉は至言だったと思える。

俺様専用ゲーム配信設定 MoonlightをMacで使っている場合

 私のほぼドラクエ10専用タワー型パソコンは、そのデカさ故に普段は使わない部屋に眠っている。なので、ドラクエ10をプレイするときは、MacBookにインストールしたMoonlightを使っている。 

moonlight-stream.org

 Moonlightの詳しい使い方は割愛。

 で、今更ながらゲーム配信もやってみたくなった。選択肢は3つ。

  1. ドラクエ用パソコンがある部屋に行って直接パソコンを操作して配信
  2. MacBookからMoonlightの画像を配信
  3. MacBookからなんとかして実況音声をドラクエ用パソコンに送って、そこからリモートで配信

 なのだが、それぞれに問題があった。

 1は割と論外。ドラクエ用パソコンは非常にゲームしづらい設置になっているし、できれば普段のMacBookから配信がしたい。

 2はやってみたところ、どうにも配信用エンコードGPUが効かないらしく動画がガクガクになってしまう。ガクガクしない解像度は480p。ちょっとこれは見てくださってる方に辛みが行ってしまう。

 3はちょっと考えればわかるが、MacBookのマイクデバイスがMoonlight経由でドラクエ用パソコンに繋がるわけがない。

 なので、そこそこ詰みだと思っていたけれど、状況が解決したのでここに残しておく。

環境

ドラクエ10Windowsパソコン

Windows10 Pro

配信用ソフトはOBS

音声用ソフトとしてVB-CABLE

Chrome ブラウザ

Moonlightを入れたMacBook

MacOS Catalina

ゲーム用リモートデスクトップソフトMoonlight

できればマイク付きのヘッドセット(なくても可)

Chrome ブラウザ

その他

GMailアカウントを二つ

概要

 MacBookからWindowsパソコンにハングアウトをかけて音声を送り、それをゲーム画面と一緒に配信する。

 しかし、普通にハングアウトで音声を送ってそれを配信するだけだと、自分の声もモニタリングしてしまうので非常に話しづらい。

 なので、Chromeの音声をVC-CABLE経由でOBSに送り、その音声はモニタリングしない様にする。

やり方

 MoonlightでWindowsパソコンに接続する。以下の操作は全てMacBookからやってます。

 VC-CABLEを管理者権限でインストールする。

 OBSをインストールし立ち上げ、ゲームキャプチャを使いドラクエ10の画面と音声が配信できる様にする。詳細は略。

 次にOBSに音声出力キャプチャを追加する。わかりやすい名前をつけよう。「声」とか。で、プロパティでCABLE INPUT(VB-Audio Virtual Cable)を選択。あと、念のためオーディオの詳細プロパティで、デスクトップ音声と「声」、共にモニターオフになっていることを確認する。

 それから、MacBookWindowsパソコン両方でChromeブラウザを立ち上げ、二つ用意したGMailアカウントで、MacBookからWindowsパソコンにハングアウトをかけ、Windowsパソコンで受信する。受信後、Windows側で右上の歯車マークの設定から、全般タブのスピーカーでCABLE INPUT(VB-Audio Virtual Cable)を選択。

 OBSを見て、声を出すと音声出力キャプチャのレベルゲージが動くのを確認する。

 おめでとう、あとは普通に配信するだけです。そして、普通に音の混信などに気をつけましょう。Mac側のハングアウトのカメラは切っておくのを推奨します。

まとめ

 これで、Moonlight経由でドラクエ10のゲーム配信ができる様になった。Windowsパソコンは型落ちとは言え一応ゲーミングパソコンとして組んだものなので、ドラクエ10の起動と動画配信くらいではガクガクすることもなく、快適な動画が配信できる。

 おめでとう、私。ありがとう、ネットの中のサムワン。

参考文献

note.com

github.com

Windowsでdockerとgitを使う、その利点と難点

 普段はMacを使っている人間が、Windowsでdockerとgitを使う環境を整えた。

 今私が所有しているWindowsマシンは、何かにブチ切れてWindows10 Proにアップグレードしたフルタワータイプのほぼドラクエ10専用機と、開発に使いたいと思ってアキバで買った3万くらいの超型落ちの分厚いノートと、給付金で買ったSurface GO 2なのだが、超型落ちの分厚いノートは重たいのであまり使わなくなり、給付金で買ったSurface GO 2はキーピッチが狭めで入力がやりづらく、ほぼドラクエ10専用機はフルタワー故に使いづらいところにおいてあり結局リモートから使うという状況になっている。

 ドラクエ10を居間のMacBookから遊べるようにするのは結構簡単だった。その過程をブログ記事にしようと思って下書きがされているが、たぶんそれは完成しない。

moonlight-stream.org

を見れば大体わかるが。

 とにかく、私のWindows資源はあまり有効活用されていないのだが、先日Windowsで開発環境を整えたという記事を見た。

r7kamura.com

 なので自分でもやってみるかと思い、Mac上のリモートデスクトップで使いづらい場所においてあるWinタワーにアクセスして、ちまちまと環境を整えてみた。

 上記のブログももちろん参考にはしたが、一番見たのは以下のページ。

docs.microsoft.com

 大体この通りにやっていけばいい。これでUbuntuをインストールしその上でgitを使い、dockerはDocker for  Windowsを使うことにし、Windows TerminalからPowerShellタブを開きそこからDocker for Windowsと、もう一つのタブでUbuntuを使うという形にした。エディタはWindows側にVisual Studio Codeをインストールしてそれを使うことにする。

難所

 この環境を整える上でハマった、一工夫したところだけピックアップする。

MacSSHキーの移行

 MacリモートデスクトップからWindowsを使っているので、普通にコピーアンドペーストすりゃいいだろ、と思っていたら、実際にカギを使おうとしたときにusekeychainというオプションがBadだと言われる。ググってみたところ以下の記事を読んで解決した。

gotohayato.com

Emacsキーバインド

 Macでテキストを編集するときのカーソル移動に関する標準キーバインドEmacs風である。私がEmacsを使っていたのは大学在学中の6年間だけなのでそんなにEmacsキーバインドに詳しいわけではないが、行末移動Ctrl-E、行頭移動Ctrl-A、上下移動Ctrl-P Ctrl-N、一文字前Ctrl-F、一文字後ろCtrl-B、1行カットCtrl-Kくらいは使う。そしてこれがMacOSXでのテキスト編集時のカーソル移動のスタンダードなキーバインドだ。これが使えないと個人的にはだいぶしんどい。

 なので、せめてVSCodeではこのキーバインドを使いたいと思い、以下の記事を参考に、Awesome Emacs Keymapを入れた。

qiita.com

 思わぬ盲点としては、ファイル保存のショートカットがCtrl-X Ctrl-Sになってしまうことだが、10年以上前の大学時代を思い出し、そうだ、Emacsの保存はこんなショートカットだった、と感慨にふけったりした。

IME オン/オフ(リモートデスクトップ環境固有)

 MacではCtrl-Spaceで入力切替をするようにしていたが、リモートデスクトップからWindowsを使っていると、同じキーで入力切替をすることができない。なので、次の記事を参考にShift-Spaceで入力を切り替えるようにした。

cloud-work.jp

WSLを入れただけではLinuxGUIアプリは使えない

 らしい。先に開発環境をWindowsに移行している夫談。LinuxGUIを使いたければHyper-Vなどで仮想環境を作る必要があるらしいが、今回使いたいのはgitくらいなのでやめておくことにする。

 それならgitもWindowsのを使えばいいじゃんとなるが、Windowsのgitには問題が多いらしい。これまた夫談。

 

 今まではMacを使って開発をしてきたが、それと今回整えたWindows環境を比べての利点と難点を述べる。ちなみにMacでも使っているのはDocker、git、VSCodeである。

 また、現状ではWindows上ではリファクタリング第二版の第一章を(テスト実行、コミットなども含めて)写経する程度にしか使っていないことも言っておく。

 

 

利点

 Dockerが速い。マシンスペックの差もあるので単純な速度比較はできないが、それでもMacBook Air 2018では20秒以上かかっていたテスト実行が5秒で終わる。速い。

難点

 VSCode上からのGUIを使ったgit使用ができない。一応Windows版のVSCodeにはウィンドウの左下の緑色の><アイコンからWSLに接続することができるのだが、それをしてもGUIからLinux上のgitが満足に使えない。前回のコミットから変更のあったファイルの検出もうまくできないし、pushはいつまで経っても終わらない。

 なので普通にCUIからgitを使う必要がある。普段からそうしている人には何の問題にもならない点ではある。

 あと、WindowsのDockerはビルドすると以下のメッセージが表示される。気になる人は注意されたし。

SECURITY WARNING: You are building a Docker image from Windows against a non-Windows Docker host. All files and directories added to build context will have '-rwxr-xr-x' permissions. It is recommended to double check and reset permissions for sensitive files and directories.

まとめ

 Dockerが速い。これだけで開発のストレスがだいぶ軽減される。ちなみになんでLinuxのDockerではなくWindowsのDockerを使っているかというと、この先Webアプリを開発するときにブラウザからの動作確認がしやすそうだからという理由である。

 gitはLinux側のを使う理由は上でも述べたが、Windowsのgitは罠があるという話のため。

 仕事でWindowsを使う予定は今のところないので今回整えた環境は趣味で使っていくことになるが、その趣味レベルであっても、MacのDockerだとテストが遅すぎてしんどい思いをしたリファクタリング第二版の写経(リファクタリング、テスト、コミットの一連の流れ)がかなり快適にできる。

 さらにリモートデスクトップを使っているため、実際に手で触るマシンは慣れ親しんだMacBookであるというのもいい。英字キーボードのMacBookリモートデスクトップを使っているが、今のところ入力に困るキーは一つもない。左上にあるチルダもちゃんと入力できる。

 しばらくはこの環境でいろいろといじっていきたい。

35歳未経験からプログラマ(アルバイト)になって1年経った

 なんで35歳未経験でプログラマになったのかという話は前に書いたのでそれを見ていただきたいです。

kze.hatenadiary.jp

 この記事を書いたのは2020年1月末ごろの話だけど、実はプログラマの仕事は2019年6月半ばくらいから始めていたわけです。

 仕事を始めた時点でのスキルセットを軽く書いておきます。

  • 工学(情報系)学士
  • UNIXシステムの管理補佐のバイト経験あり
    • 基本的なファイル操作コマンドやパーミッションの概念などが身についている
    • MovableTypeをカスタマイズしてCMSとして運用できるようにした経験あり
  • シェルスクリプトなどを用いたテキストデータクレンジング経験あり(請負業)
  • ITパスポート持ち
  • 大体の言語にキャッチアップできる基礎はあると思っていた
  • Gitはよくわかってない
  • テストもほとんど書いたことがない
  • 継続したサービスの運用経験は無し
  • チーム開発経験無し

 こんな状況で仕事を探していたところ、GMOペパボさんにお声がけいただき、アルバイトのプログラマとして働き始めることになりました。なぜアルバイトかというと、まだ子どもが小さく、私自身も持病があり(障害者手帳持ちです)主治医の意見もあって、いきなり長時間働くのではなく時短の6時間、週4日で働くという話になったからです。今もこのペースで働いています。

 で、働き始めて1年経ってどうなのかということを振り返ろうと思ってこの記事を書いています。

 働き始める前に不安だったことは主に2点。チーム開発が務まるのかということと体調面で勤め続けられるかということです。

 まずは非常に個人的な都合である体調面について話そうと思います。

 大学生の頃に発症した統合失調症のせいで、長時間、長期間の労働ができない人生を送ってきました。プログラマの仕事でもそうなったら嫌だなと心から思っていました。

 実際に仕事を始めてみて、向いている仕事だとは思いましたが、それでも月2回前後のペースで体調を崩し、お休みをもらうことがありました。しかし、この問題はウルトラCで解決します。コロナウィルスが引き金となった在宅勤務開始によってです。

 体調を崩す一番の原因がどうやら通勤で体力を使うことだったようで、在宅勤務が始まってからはほぼ体調を崩さずにやってこれています。弊社はこれからも在宅勤務メインでやっていくという話なので、個人的に非常にありがたいです。

pepabo.com

 そしてチーム開発が務まるのかという話ですが、こちらもなんとかやっていけています。

 そもそもチーム開発において何が一番不安だったのかというと、他の人の書いたソースコードを読むことができるのか?という点です。自分が書いたソースコードすら時間が経てば読めなくなってしまうのに(読めない自分のコード実例)、他の人が書いたソースコードを読むことなどできるのだろうか?と心配していました。

 けれども、ソースコードは全部理解しなくても重要なところを読み込めればそれでいいということに割と早い段階で気づくことができ、それからはソースコードを読むことへの不安は消えました。

 これは、読みやすいコードというものを書き、保守してきてくださった先輩方があってのもので、非常に学びがありました。そして時間が経ったら読めなくなってしまった自分のコードがいかに未熟だったのかということを痛感しました。

 また、コードレビューという文化もチーム開発ならではのものです。自分が書いたコードに対し、先輩方からご意見をいただける貴重な機会です。このコードレビューという機会に接してようやくGitというかGitHubの素晴らしさがわかりました。

 まだまだ一回ではLGTMをいただけませんが、自分だけの主観的なコードではなく、他の方から見たわかりやすさを意識するようになったという点には、一人だけで趣味のコードを書いていただけではなかなかたどり着けなかったでしょう。

 これだけでもチーム開発に関われて良かったと本当に思います。

 また、趣味から一歩先にといった点ではテストを書くというのも大きかったです。私の今の業務は1からコードを書くことは珍しく、他の人のコードを改修する仕事がメインです。なので、改修がうまくいったかどうかはテストが通るかどうかに頼るところが多いので、既に書かれたテストは財産だと感じています。自分でも、この財産を少しづつ増やしていければと思っています。

 私の趣味のコードは一度書いたら書き捨てになるものがほとんどだったので、やはり仕事として現在運用されているシステムのコードに付き合わなければ、テストの大切さを実感することはなかったでしょう。

 そしてチーム開発といえばやはり重要なのはコミュニケーションでしょう。特に在宅勤務になってからは、ほぼテキストベースのコミュニケーションになっています。

 これは対面ベースのコミュニケーションと比べ、ソリッドだという印象があります。ソリッドというのは、相手の意見も分かりやすいし、自分の意見もちゃんと言いたいことを形にする必要があり、結果(たぶん)分かりやすくなっているということです。

 一方で対面ベースのコミュニケーションは、まだ意見が固まっていない段階で相談するのに向いているという点が挙げられると思います。会議などはその際たるものでしょう。なので、在宅勤務ではこの「まだ固まっていない意見や方向性」をどうしていくのかという課題があると思うのですが、そこでボイスチャットなどが果たす役割が大きいと感じています。

 そしてこれは弊社の特徴なのかも知れませんが、テキストチャットが非常に和やかです。おかげさまでちょっと被害妄想気味なところがある私でも皆さんとワイワイやっていけてるなぁと思います。これは直接技術には関係しないと思っていても、この空気のおかげでやっていけてる面は多分にあり、やはりチーム開発、というよりみんな(開発職だけではなく、他の様々な職位の皆さんという意味)で仕事をやっていくというのはいいなぁと感じることしきりです。

 というわけで仕事を始めて1年、思い返せば良かったことが非常に多く、実りある1年でした。

 これからもこの会社で良い関係、環境を築きながら仕事ができればいいな、と心から思います。

政治とかの話は「ムカつく」

 SNSなどで政治とかの話をしたくない人は一定数いる。かく云う私もそのひとりであった。なぜかというと、嫌悪感が先に立つのだ。

 でも、そこで感情を受け止めつつもなぜ嫌悪感を覚えるのか分析していきたい。

 嫌悪感を覚えるのはなぜ?と考えた時、自分の中で一番しっくり来る答えが「ムカつくから」だった。政治の話には、ムカつく。だけども本当はムカつきたくない。なるべく見たくないと思う。だから嫌悪する。そういう順番のように思うのだ。

 続けて、政治の話にムカつく理由を考えたい。

 政治について話をする時、きっと頭の中には「こんな社会だったらいい」という理想があるのではないだろうか?

 その理想を誰かと共有して、一緒に叶えていく。それが政治的活動の基本だと私は思う。

 けれども、その理想が誰とでも共有できるとは限らない。自分が嫌うところを理想として語る人もいる。

 これだけでも政治の話がムカつく理由になるけれど、もう一つ大切なことがある。

 理想とは個人の体験から生まれるものだ。だからこそ、その理想はとても大切なものであり、誰かに批判されたり自分の理想と正反対の意見を見たりするとムカつく。

 政治の話はムカつくから見たくない。嫌悪する。その心の働きはとてもよくわかる。

 しかしながら、そこでムカつくからと立ち止まり、目に入れないだけでいいのだろうか?

 ムカついているということは、怒っているということだ。政治の話は怒りたくなるほど大切なことなのだ。

 その怒りをなかったことにしてやり過ごし、好きな話だけをするSNSの活用方法はあるだろう。

 けれども、自分はそうするにしても怒っている人まで止めてはいけない。怒りをなかったことにして大切なものを守ろうとする人がいる一方で、怒り語ることで大切なものを守ろうと決心した人がいるというだけの話なのだから。