35歳未経験からプログラマ(アルバイト)になって1年経った

 なんで35歳未経験でプログラマになったのかという話は前に書いたのでそれを見ていただきたいです。

kze.hatenadiary.jp

 この記事を書いたのは2020年1月末ごろの話だけど、実はプログラマの仕事は2019年6月半ばくらいから始めていたわけです。

 仕事を始めた時点でのスキルセットを軽く書いておきます。

  • 工学(情報系)学士
  • UNIXシステムの管理補佐のバイト経験あり
    • 基本的なファイル操作コマンドやパーミッションの概念などが身についている
    • MovableTypeをカスタマイズしてCMSとして運用できるようにした経験あり
  • シェルスクリプトなどを用いたテキストデータクレンジング経験あり(請負業)
  • ITパスポート持ち
  • 大体の言語にキャッチアップできる基礎はあると思っていた
  • Gitはよくわかってない
  • テストもほとんど書いたことがない
  • 継続したサービスの運用経験は無し
  • チーム開発経験無し

 こんな状況で仕事を探していたところ、GMOペパボさんにお声がけいただき、アルバイトのプログラマとして働き始めることになりました。なぜアルバイトかというと、まだ子どもが小さく、私自身も持病があり(障害者手帳持ちです)主治医の意見もあって、いきなり長時間働くのではなく時短の6時間、週4日で働くという話になったからです。今もこのペースで働いています。

 で、働き始めて1年経ってどうなのかということを振り返ろうと思ってこの記事を書いています。

 働き始める前に不安だったことは主に2点。チーム開発が務まるのかということと体調面で勤め続けられるかということです。

 まずは非常に個人的な都合である体調面について話そうと思います。

 大学生の頃に発症した統合失調症のせいで、長時間、長期間の労働ができない人生を送ってきました。プログラマの仕事でもそうなったら嫌だなと心から思っていました。

 実際に仕事を始めてみて、向いている仕事だとは思いましたが、それでも月2回前後のペースで体調を崩し、お休みをもらうことがありました。しかし、この問題はウルトラCで解決します。コロナウィルスが引き金となった在宅勤務開始によってです。

 体調を崩す一番の原因がどうやら通勤で体力を使うことだったようで、在宅勤務が始まってからはほぼ体調を崩さずにやってこれています。弊社はこれからも在宅勤務メインでやっていくという話なので、個人的に非常にありがたいです。

pepabo.com

 そしてチーム開発が務まるのかという話ですが、こちらもなんとかやっていけています。

 そもそもチーム開発において何が一番不安だったのかというと、他の人の書いたソースコードを読むことができるのか?という点です。自分が書いたソースコードすら時間が経てば読めなくなってしまうのに(読めない自分のコード実例)、他の人が書いたソースコードを読むことなどできるのだろうか?と心配していました。

 けれども、ソースコードは全部理解しなくても重要なところを読み込めればそれでいいということに割と早い段階で気づくことができ、それからはソースコードを読むことへの不安は消えました。

 これは、読みやすいコードというものを書き、保守してきてくださった先輩方があってのもので、非常に学びがありました。そして時間が経ったら読めなくなってしまった自分のコードがいかに未熟だったのかということを痛感しました。

 また、コードレビューという文化もチーム開発ならではのものです。自分が書いたコードに対し、先輩方からご意見をいただける貴重な機会です。このコードレビューという機会に接してようやくGitというかGitHubの素晴らしさがわかりました。

 まだまだ一回ではLGTMをいただけませんが、自分だけの主観的なコードではなく、他の方から見たわかりやすさを意識するようになったという点には、一人だけで趣味のコードを書いていただけではなかなかたどり着けなかったでしょう。

 これだけでもチーム開発に関われて良かったと本当に思います。

 また、趣味から一歩先にといった点ではテストを書くというのも大きかったです。私の今の業務は1からコードを書くことは珍しく、他の人のコードを改修する仕事がメインです。なので、改修がうまくいったかどうかはテストが通るかどうかに頼るところが多いので、既に書かれたテストは財産だと感じています。自分でも、この財産を少しづつ増やしていければと思っています。

 私の趣味のコードは一度書いたら書き捨てになるものがほとんどだったので、やはり仕事として現在運用されているシステムのコードに付き合わなければ、テストの大切さを実感することはなかったでしょう。

 そしてチーム開発といえばやはり重要なのはコミュニケーションでしょう。特に在宅勤務になってからは、ほぼテキストベースのコミュニケーションになっています。

 これは対面ベースのコミュニケーションと比べ、ソリッドだという印象があります。ソリッドというのは、相手の意見も分かりやすいし、自分の意見もちゃんと言いたいことを形にする必要があり、結果(たぶん)分かりやすくなっているということです。

 一方で対面ベースのコミュニケーションは、まだ意見が固まっていない段階で相談するのに向いているという点が挙げられると思います。会議などはその際たるものでしょう。なので、在宅勤務ではこの「まだ固まっていない意見や方向性」をどうしていくのかという課題があると思うのですが、そこでボイスチャットなどが果たす役割が大きいと感じています。

 そしてこれは弊社の特徴なのかも知れませんが、テキストチャットが非常に和やかです。おかげさまでちょっと被害妄想気味なところがある私でも皆さんとワイワイやっていけてるなぁと思います。これは直接技術には関係しないと思っていても、この空気のおかげでやっていけてる面は多分にあり、やはりチーム開発、というよりみんな(開発職だけではなく、他の様々な職位の皆さんという意味)で仕事をやっていくというのはいいなぁと感じることしきりです。

 というわけで仕事を始めて1年、思い返せば良かったことが非常に多く、実りある1年でした。

 これからもこの会社で良い関係、環境を築きながら仕事ができればいいな、と心から思います。

政治とかの話は「ムカつく」

 SNSなどで政治とかの話をしたくない人は一定数いる。かく云う私もそのひとりであった。なぜかというと、嫌悪感が先に立つのだ。

 でも、そこで感情を受け止めつつもなぜ嫌悪感を覚えるのか分析していきたい。

 嫌悪感を覚えるのはなぜ?と考えた時、自分の中で一番しっくり来る答えが「ムカつくから」だった。政治の話には、ムカつく。だけども本当はムカつきたくない。なるべく見たくないと思う。だから嫌悪する。そういう順番のように思うのだ。

 続けて、政治の話にムカつく理由を考えたい。

 政治について話をする時、きっと頭の中には「こんな社会だったらいい」という理想があるのではないだろうか?

 その理想を誰かと共有して、一緒に叶えていく。それが政治的活動の基本だと私は思う。

 けれども、その理想が誰とでも共有できるとは限らない。自分が嫌うところを理想として語る人もいる。

 これだけでも政治の話がムカつく理由になるけれど、もう一つ大切なことがある。

 理想とは個人の体験から生まれるものだ。だからこそ、その理想はとても大切なものであり、誰かに批判されたり自分の理想と正反対の意見を見たりするとムカつく。

 政治の話はムカつくから見たくない。嫌悪する。その心の働きはとてもよくわかる。

 しかしながら、そこでムカつくからと立ち止まり、目に入れないだけでいいのだろうか?

 ムカついているということは、怒っているということだ。政治の話は怒りたくなるほど大切なことなのだ。

 その怒りをなかったことにしてやり過ごし、好きな話だけをするSNSの活用方法はあるだろう。

 けれども、自分はそうするにしても怒っている人まで止めてはいけない。怒りをなかったことにして大切なものを守ろうとする人がいる一方で、怒り語ることで大切なものを守ろうと決心した人がいるというだけの話なのだから。

つよつよエンジニアは何が強いのか

 私の夫は割とつよつよなプログラマだと思っている。

 そんな彼に今日やった凡ミスの話をし、「こんな凡ミスするなんて私はよわよわプログラマだよー」などと続けたら、「それは違う」と割と強く言われた。

「そういううっかりミスは誰でもするから、そこがよわよわとかいうのは違う」と。

「じゃあつよつよプログラマはどんなところがつよつよなの?」と訊いてみたらなんだか禅みたいな答えが返ってきたのでちょっと書き残しとく。本人の了承済み。

 

 夫曰く。

「つよつよなプログラマは道の選び方が上手い」

「道?」

「そう。ある機能を実現するのに、様々な方法がある。グネグネとしてるけど最短距離を行く方法とか、遠回りだけれどまっすぐな方法とか。そして時に最短距離よりも遠回りの方がいいことがある」

「ふむふむ」

「あと、言い換えが上手い。これってこういうことでしょ?みたいな」

「なるほど(抽象化とか本質を見抜くとかそういうことかな)」

「これは道の例えで言うとゴールの設定が上手いって話にだいぶ近い」

「(ちょっと違ったっぽい)ゴールの設定が上手いってのは必要条件と十分条件を適切に見つけることができるってこと?」

「うーん、そうかなぁ。それは近いなぁ」

「じゃあ、抽象化とか本質を見抜くとかそういうこと?」

「それも近いけど、うーん」

「なんか、ズバッとこれだ!って感じではない?」

「そうだねぇ」

「なるほど。ありがとうー」

 

 というわけで、割と感覚的な話だとは理解したので、ここで質問は終わり。

 でも、道かぁ。プログラミングという実物的なものごとについて話しているのに、禅みたいな話が出てきたのがものすごく面白かったです。

文系が理転してプログラマになろうとしたけど結局15年ほどかかった話

まぁこんなお題でなんか書いてみようかなと。書き終えてみたら3,000字程の長文になった。

【追記】2020年5月31日に一部補足的な文章を加えました。

高校時代

あまり勉強はしないけれども国語が得意で数学が苦手だったので、高校1年の頃には文系に進もうと心に決めていた。心理学とか哲学とかやって人間について考えたかった(心理学は実はそういう学問ではないらしいとはこの頃はまだ知らなかった)。

でも、転機が訪れる。高校2年生のとき、当時好きだったロスト・ユニバースというラノベのあとがきに相対性理論を崩せる人募集と書かれており、じゃあ相対性理論を勉強してみようと思って高校の図書室にあったニュートンという科学雑誌の特集号を読んでみることにした。

そしたら面白すぎた。本は相当読んでいる方だと思っていたけれど、本の内容が面白くて電車を乗り過ごしたのは初めてのことだった。

なので理転して物理学を学ぼうと思った。でも、実はこの選択が逃げであったのも当時から認識していた。私は国語が得意だと思っていたけれど、その得意なフィールドで大学受験に挑んだらもし失敗した時に辛すぎる。どうせ受験に失敗するなら理系分野の方が自分に言い訳が効く、などという謎の卑屈な精神も手伝って理転を決心したのだ。

しかし、理転するにしても1年次の進路調査票で文系クラスに進みたいと答えており、そのため3年次のクラスが文系になることはもう決まっていた(1年次で保留にしとけば2年次の選択で文系理系選べたんだけどね)。

なので、数学3Cと物理は未履修のまま受験に挑むことになった。そしてそんなに熱心に勉強していたわけではないので(そもそも自分に言い訳するための理転だし)理学部に落ちて浪人することになった。

でも、この浪人になった時は就職氷河期で、高卒で就職しようとしていた友人たちは片っ端からフリーターになった。それを見て、さらに色々と考えたのもあり、手に職をつけて一生働き続けられるようにならないとと思って志望学部を工学部に変更した。そしてその頃はインターネットが一般に普及し始めたところでもあり、それが面白そうだから情報系の学科を目指してプログラマになろうと決めた。

プログラマになって手に職をつけて、結婚してもバリバリ働こう、そう思った。

それから数学3Cと物理を一生懸命勉強した。どちらも予備校の個別指導の先生に見てもらって、記述式の対策をみっちりした。個別指導の学費のためにバイトもしなければならなかったのが辛かったけれど、それは女のお前に学費は用意していないという両親の元に生まれたのがまぁアレだった。これ平成の話ね。あと独学だと勉強できない自分の性格のせいもある。

でもバイトしてるせいで模試はほとんど受けられず、自分の実力がイマイチわからないまま本番に臨むことになった。

しかし合格はした。第一志望の大学の第一志望の学科だった。

大学時代

入学して一人暮らしの生活が始まった。大学では電気回路とか離散数学とかプログラミング演習とか色々やった。特にプログラミング演習や離散数学などの情報系の授業が楽しかった。

さらにバイト先として大学内の情報管理センターに雇ってもらい、そこでUNIXなどに触れ、HTMLやCSSC言語JAVAなども勉強させてもらった。非常に良いバイトだった。

が、残念なことに受験期を抜けてまたそれまでの勉強しないモードに入ってしまい、苦手な電気回路などの授業は聞いているだけでは理解できないのもあって単位をポロポロ落とし始め、更にどんどん毎日がしんどくなっていって、ある日あまりにもしんどくて周りが見えず交通事故に遭いかけたのがきっかけで大学の保健管理センターにある精神科の門を叩いていた。

そこでは数ヶ月単位で時間をかけて診察していただき、最終的には統合失調症だろうという診断結果が下った。

その頃には単位も随分と落としていて、1年の留年では卒業できないくらいになっていた。最低でも2年留年しないと卒業できない。

薬はもらっていたけれど、今思うとあまり効いてはいなかった。常に首を切りたいという妄想にかられ消耗し、起き上がるのすら困難な日もあった。

そんな中なんとか単位を取って卒研に着手しそれを書いて卒業できたが、卒業時には消耗しきっていたので一人暮らしをやめて実家に帰ることにした。

大学卒業後

それから2年くらい引きこもっていた。この頃のことはあまり覚えていない。

ただ、プログラマになって手に職をつけてバリバリ働きたいという入学前の希望からは随分と遠いところに来てしまったのが悲しかった。

それからお寿司屋さんのチェーン店でのパートを始めて少しづつ社会復帰を目指した。2年にならないくらいのところでもう大丈夫だと思ってフルタイムの契約社員に転職したが、そんなに単純な話はなく体調の不良が態度にも出てしまったため、契約満了で辞めることとなった。

ここで仕方ないので障害者手帳を取り、今度は障害者枠で勤め始めることにした。この頃にはもうプログラマになりたいという思いはだいぶ燻っていた。もう30歳ぐらいで職歴もボロボロだし、無理だろうなぁと。そもそも実家を出られるほど体調が良くないため実家から通える範囲の仕事探さねばならないが、それでプログラマの仕事はほとんどなかった。

だから障害者枠の事務仕事を見つけて勤め始めたが、1年とちょっとで体調が悪化し入院するほどになったので辞めることになった。

ただ、この間も暇を見つけてはプログラミングをしたりウェブサイトを作っていたりしていた。スクリーンセーバーを作ったり、画像ダウンローダーを作ったりなどちょくちょく遊んでいた。だから、転職する機会ごとにプログラマになりたいと思ったりしたが、まぁ病気のこともあり諦めがちだったのだ。

そしてもうどん底だなぁというところでTwitterにネガティブをぶつけていたら、大学時代の先輩から助けの声がかかり、それがきっかけで先輩と結婚し、上京することになった。

結婚してから

そして新婚生活は夫は仕事へ、私は就労移行支援事業所へ通うというものになった。また、週一くらいで某社のプログラミング教室にも通い始めた。そんな生活が約2年続いた。プログラミング教室を開いてくれていた某社さんに就職したいと考えることは何度もあったが、もしうまく行かなかったら怖いという卑怯な逃げ心でついぞそれを言い出すことはできなかった。ここで懺悔します。ごめんなさい。 

それから就労移行支援事業所経由で小さな広告会社のウェブ担当の仕事を見つけたが、すぐに子どもができて色々勘定した結果短期間で辞めることにした。出産してからしばらくは夫が育休を取ってくれていたけれど、それが終わったら日中子どもと二人きりの生活だった。そんな中知り合いの方からプログラミングで効率化しないと終わらない類の自宅でできる軽作業の請け負い仕事を紹介していただき、それをこなしたりしていた。それと並行するような形でプログラマの仕事も探していた。

子どもが生まれてから不思議なことに病気も随分良くなり、10数年ぶりにポジティブな気持ちが続いていた。

今度こそプログラマになるのだ、そう思っていた。インターネットは大学受験前に夢見た通り楽しかったし、趣味でやるプログラミングも楽しかったからだ。それに、35歳未経験はもう手遅れかもしれないけれども、もしここで今までみたいに職種にこだわらず見つかった仕事に手をつけたら、本当にプログラマにはもうなれないと思った。

だから何社も受けてはみたが、色々なビハインドがあるせいかなかなかプログラマの仕事には受からなかった。

そうしているうちに、夫の出張についていく形でRubyKaigiに参加したのがきっかけで、知り合いの方からウェブ系の会社の仕事を紹介していただいた。どうも私が書いたQiitaなどを見てくれていたらしい。

そこはとても柔軟な働き方を許容してくれる会社で、子どもがいるから6時間の時短勤務で、さらに持病の様子を見るために週4のアルバイト勤務をお願いしたい、という私の希望を容れてくれた。障害者手帳があっても大丈夫だと。そして職種はプログラマ。運よく子どもを預ける先も見つかり、ここで働くことになった。

まとめ

もう一度言うがこの時点で私は35歳。プログラマを目指して大学に入学したのが19歳の頃のことだから、そこから数えると16年ほどかかってようやくプログラマという職につけることになった。大学卒業時から数えると10年か。

持病のこともありバリバリ働くという感ではないが、それでも憧れた仕事にようやく手が届いた。ちゃんと手に職がつくかはこれからの働き次第だと思うけれども。

頑張ります。

正しくあることを捨てる

正しい世界で生きていけるひと、それは少なくとも私ではないのだろうと思う。

私は正しくあることを捨てた人間だからだ。

正しくあることを捨てたというのは、なにも積極的に間違いを選ぶという話ではない。自分が間違えることをあらかじめ許している、それだけの話。

前にも書いた気がするが、昔は絶対に正しいことに興味があった。何故なら、絶対に正しいことに逆らわなければ自分は常に正しい、そう考えていたし、自分が正しければ何かあっても悪いのは自分以外の誰かだから、絶対に正しいことを手に入れたらきっととても楽になれる、そう思っていた。

けれども、自分さえ正しければいい世界には他の人が居られないことがわかった。むしろ自分の居場所すらなかった。

何か行動をとる毎にその正しさを検証する生き方はとてもとても辛かった。常に自分で自分を裁判にかけているようなものだったから。

だから私は正しくあることを捨てた。間違える自分をあらかじめ許すことにした。間違えたとしてもなお自分は人間であることを信じた。

そうして、ようやく生きるのが随分と楽になったのだ。

 

技術書典7でプログラミングマンガ同人誌を出した

 すっごく今更な話ですが、技術書典7でプログラミングマンガ同人誌を出しました。

 なので、どんな目的でどんな風に書いたのかという話をちょっと残しておこうと思います。

 

1. 企画を考える

 今回はズンドコキヨシを見かけた男子中学生がプログラミングを勉強していく話 第1話をマンガにしたかったのですが、多分著作権上いろいろアウトなのでエッセンスだけ取り出してマンガにすることにしました。

 そこで、ズンドコキヨシチェック相当の問題を思いつきたかったのですが、そこはうまく考えられなかったのでFizzBuzzを問題にすることにしました。

 

2. 登場させたいソースコードを全部書く

 まず普通にFizzBuzzを書いていきます。で、初心者はここでつまづきそうだな、というバグを仕込んでおりかつ未完成のバージョンをまず書き、そのバグは取れたし次の一歩に進んだけれどもその次の一歩でもまたバグを仕込んでいる、というバージョンを書きます。

 ポイントとしては、いきなり最後まで書かず、少しづつプログラムが完成していくという過程を踏んでいくことです。なぜなら、私が書きたいことはプログラムはまず完成を目指すよりも小さな問題から少しづつ作っていく方がいいということだからです。

 小さな問題から少しづつ作るのはいろんな意味でいいと思っています。バグを仕込んでも原因の特定がしやすいとか、自分が言語の使い方を覚える時にも必要なものを必要な時に調べ少しづつ動かしていくことで言語の使い方を無理なく覚えられるとか、メリットいろいろあると思っているので、本当にプログラミングの初心者が覚えるべきことは変数の宣言の仕方とか関数の作り方よりも少しづつ問題を進めていく姿勢だと思っています。

 前述のズンドコキヨシでもこの本でも、本当に書きたくて本当に伝えたいことはここだということは最初からブレていないつもりでいます。

 

3. シナリオを書く

 そしてこのプログラムを作っていく過程をセリフにしていきます。主人公が次のステップに進むための気づきを得るところが書いていて一番難しいです。

 

4. GitHubで公開してレビューを募る(しかし現れず)

 シナリオを書いたところで一旦GitHubにて公開することにしました。レビューを募ってブラッシュアップをしようと思ったためですが、お礼をちゃんと明記しなかったりとか多分いろんなことが原因でレビュアーさんは現れませんでした。

 次はもっとうまくやりたいです。

 

5. Clip Studio EXでネームを描く

 シナリオを元にネームを描いていきます。ネームってのはマンガの設計図です。コマを割り、誰がどこ向いてるのかくらいはわかる程度の絵を入れて、吹き出しの位置を決め、シナリオに書かれたセリフをさらにブラッシュアップします。

 シナリオではセリフが長くなりがちですが、吹き出しに入れて、かつ読みやすくしようとするといろんなところを省略したり、吹き出しの配置を工夫する必要がありました。

 

6. ネームを元に絵を入れていく

 ネームを元にして、絵を描いていきます。アナログ時代はネームを描く紙と絵を描く本番の紙は別物でしたが、デジタルだとレイヤーがあるので、ネームレイヤーの上に下描きレイヤーを作って更にレイヤーを重ねてペン入れをしてといった具合に作業ができて、一つのファイルで済むようになっています。

 でも、デジタルでもネームのファイルと本番のファイルを分ける人も多分いると思います。ネームだけアナログとか。

 

7. スクショを貼りこむ

 絵ができたらエディタ画面やブラウザのスクリーンショットを貼り込んでいきます。

 デジタルで白黒の絵のデータを作るときは、白黒2値(書店とかで普通に売られているマンガはこれです)を使う場合とグレースケールを使う場合があります。

 マンガだからと思って普通に白黒2値で原稿を作ってきましたが、スクリーンショットを白黒2値で表現するのは無理がありました。

 なので、印刷屋さんのウェブサイトを調べまくって、白黒2値とグレースケールを混合させることにしました。スクリーンショットのみ、グレースケールで表現するためです。

 とはいえファイルの属性的にはグレースケールで、スクリーンショット以外のところでは白黒2値以外のグレーは使わなかったというだけの話ですが。

 

8. 完成

 ちなみにこのClip Studio EXというソフトのiPad版を使っています。

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iPad版Clip Studio EX

 

9. 振り返り

9.1 もっとネームが練れたのではないか

 ネームはもっとわかりやすくは出来なかったと思うのですが、細かい言い回しなどはもっと練ることが出来たと思っています。姉の出来ない人は必要ない、というセリフは添削したいセリフ第一位です。

 

9.2 もっと絵を丁寧にできたのではないか

 絵を丁寧にするモチベーションがなかなか湧かなかった、というのが正直なところです。絵で見せなければならない最終コマは粗い状態から描き直しましたが、その他の絵は最低限の説明ができれば良いという考えの元に描かれたものなので、本当に丁寧さに欠けています。

 マンガの楽しみの中には絵を見る楽しみも確実にあると思うので、次を描く機会があれば絵についてもっと執着を持ちたいと思います。

 

9.3 題材は適切だったか

 これは今でもわかりません。JavaScriptを採用したのは誰もが必ずブラウザという形で実行環境を持っているからです。

 でも、FizzBuzzを問題として選んだのはどうだったのか?

 試行錯誤して解いていく問題として適切だったか?

 ちなみに最初に書きたかったズンドコキヨシについては、実はほぼパーフェクトに適切で、第一話では関数を使わずに解く、第二話では関数を使って解く、第三話ではオブジェクト指向を使って解く、という三段構えの構想があったのです。二話と三話は今の所幻ですが。

 あと、プログラミング経験者である姉を出現させてしまったことによって、主人公がひとりで試行錯誤する感がズンドコキヨシの記事よりも欠けてしまったかも知れません。

 

9.4 次があるとしたら

 次に技術同人誌を描くとしたら、やっぱりマンガにしたいです。ちなみに夫からはUnityを使って子供をあやす用のガラガラアプリを作った話をエッセイマンガにしてはどうだ?と提案されています。でも、面白いネタのはずなのになぜかイマイチ心にグッときていません。

 あと、今回ニッチ本を描けたのは誇るべきものだと思いますが、もうちょっとソフトウェアエンジニアの人が面白いと思いそうな問題をテーマにして、パイが広めのところを狙いたい気持ちがあります。

 あとは、CUIの世界をダンジョンに例えてサーバというダンジョンを攻略していくマンガとか面白いかも知れません。

 えーと、つまり次は何も決めていないということです。

 何も決めていないけど、次はあってほしいです。

 

 今回の同人誌はBoothで販売しています。ご興味がありましたらお手に取っていただければ幸いです。

rotelstift.booth.pm


子ども向けにガラガラアプリを作って一年経った

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子どもが生まれてから、子どもをあやすためにガラガラのスマホアプリが欲しいと思って探したのですが、どれもしっくり来ませんでした。

スマホを振ったら表示されてるボールが動いてぶつかったら音が鳴る、そんなシンプルさでいいのですが。

という訳で、Unityを使って自作したのが一年以上前のこと。鳴らすときの音もgaragebandで自作。

その頃はまだ子どもも生まれて半年くらいだったので、スマホをタッチするという動作は入れずにただ持って振るだけで完結するようにしました。
これで遊んでくれたら嬉しいなー、と思いながら渡してみたら全くといっていいほど振ってくれなかった…。

それでも、泣いているときなどに目の前でこのアプリを振ってみせたら次第に笑ってくれるようになり、だいぶ大きくなった今では自分でスマホを振って音を鳴らして遊ぶどころか、画面上のボールをタッチして何も起きないの?と不思議な顔をみせてくれるようになりました。

もう一年以上前に作ってからほとんどコードには触れてないのでいろいろ忘れてますが、アップデートのしどきかもしれません。

今度はボールに触ったら色が変わるようにしたいな。