過去のことは忘れたい

過去のことを引きずらず、常に今の自分として生きていきたい。

私は物心ついた頃には自分を不当に扱う母に対して強い恨みを持っており、思春期にはこの恨みを忘れたら自分は自分ではなくなると思っていたが、今となってはその恨みを大体忘れている。記憶としては残っているが、感情としては忘れてしまった。

それで私は私ではなくなったのかというと、そんな感じはしない。もちろん、自分が過去の自分と変わってしまってもそれを認識するのは非常に難しいので、もしかしたら本当に変わってしまったのかも知れないが、それでなんら不都合は感じない。

であるならば、私はなるべく過去の感情を忘れて生きていきたいと思う。

私は今、既に過去の私ではない。それなのに、過去の感情に引きずられていると、今の私と関係を築いてくださっている方々に思いもしない失礼を働いてしまうと思うからだ。

過去は過去で何も変わらないのだから、出来ることは忘れることだけだ。

かつて読んだ漫画に人は忘れるから生きていけるという言葉があったが、それを読んだ10代の頃の私はこの言葉はウソだと思った。母に対する恨みが忘れられない。それで生きるのが辛いのではないかと。しかしあれから20年、今は忘れている。そして、かつてほど生きるのは辛くない。だから、今となってはあの言葉は至言だったと思える。

俺様専用ゲーム配信設定 MoonlightをMacで使っている場合

 私のほぼドラクエ10専用タワー型パソコンは、そのデカさ故に普段は使わない部屋に眠っている。なので、ドラクエ10をプレイするときは、MacBookにインストールしたMoonlightを使っている。 

moonlight-stream.org

 Moonlightの詳しい使い方は割愛。

 で、今更ながらゲーム配信もやってみたくなった。選択肢は3つ。

  1. ドラクエ用パソコンがある部屋に行って直接パソコンを操作して配信
  2. MacBookからMoonlightの画像を配信
  3. MacBookからなんとかして実況音声をドラクエ用パソコンに送って、そこからリモートで配信

 なのだが、それぞれに問題があった。

 1は割と論外。ドラクエ用パソコンは非常にゲームしづらい設置になっているし、できれば普段のMacBookから配信がしたい。

 2はやってみたところ、どうにも配信用エンコードGPUが効かないらしく動画がガクガクになってしまう。ガクガクしない解像度は480p。ちょっとこれは見てくださってる方に辛みが行ってしまう。

 3はちょっと考えればわかるが、MacBookのマイクデバイスがMoonlight経由でドラクエ用パソコンに繋がるわけがない。

 なので、そこそこ詰みだと思っていたけれど、状況が解決したのでここに残しておく。

環境

ドラクエ10Windowsパソコン

Windows10 Pro

配信用ソフトはOBS

音声用ソフトとしてVB-CABLE

Chrome ブラウザ

Moonlightを入れたMacBook

MacOS Catalina

ゲーム用リモートデスクトップソフトMoonlight

できればマイク付きのヘッドセット(なくても可)

Chrome ブラウザ

その他

GMailアカウントを二つ

概要

 MacBookからWindowsパソコンにハングアウトをかけて音声を送り、それをゲーム画面と一緒に配信する。

 しかし、普通にハングアウトで音声を送ってそれを配信するだけだと、自分の声もモニタリングしてしまうので非常に話しづらい。

 なので、Chromeの音声をVC-CABLE経由でOBSに送り、その音声はモニタリングしない様にする。

やり方

 MoonlightでWindowsパソコンに接続する。以下の操作は全てMacBookからやってます。

 VC-CABLEを管理者権限でインストールする。

 OBSをインストールし立ち上げ、ゲームキャプチャを使いドラクエ10の画面と音声が配信できる様にする。詳細は略。

 次にOBSに音声出力キャプチャを追加する。わかりやすい名前をつけよう。「声」とか。で、プロパティでCABLE INPUT(VB-Audio Virtual Cable)を選択。あと、念のためオーディオの詳細プロパティで、デスクトップ音声と「声」、共にモニターオフになっていることを確認する。

 それから、MacBookWindowsパソコン両方でChromeブラウザを立ち上げ、二つ用意したGMailアカウントで、MacBookからWindowsパソコンにハングアウトをかけ、Windowsパソコンで受信する。受信後、Windows側で右上の歯車マークの設定から、全般タブのスピーカーでCABLE INPUT(VB-Audio Virtual Cable)を選択。

 OBSを見て、声を出すと音声出力キャプチャのレベルゲージが動くのを確認する。

 おめでとう、あとは普通に配信するだけです。そして、普通に音の混信などに気をつけましょう。Mac側のハングアウトのカメラは切っておくのを推奨します。

まとめ

 これで、Moonlight経由でドラクエ10のゲーム配信ができる様になった。Windowsパソコンは型落ちとは言え一応ゲーミングパソコンとして組んだものなので、ドラクエ10の起動と動画配信くらいではガクガクすることもなく、快適な動画が配信できる。

 おめでとう、私。ありがとう、ネットの中のサムワン。

参考文献

note.com

github.com

Windowsでdockerとgitを使う、その利点と難点

 普段はMacを使っている人間が、Windowsでdockerとgitを使う環境を整えた。

 今私が所有しているWindowsマシンは、何かにブチ切れてWindows10 Proにアップグレードしたフルタワータイプのほぼドラクエ10専用機と、開発に使いたいと思ってアキバで買った3万くらいの超型落ちの分厚いノートと、給付金で買ったSurface GO 2なのだが、超型落ちの分厚いノートは重たいのであまり使わなくなり、給付金で買ったSurface GO 2はキーピッチが狭めで入力がやりづらく、ほぼドラクエ10専用機はフルタワー故に使いづらいところにおいてあり結局リモートから使うという状況になっている。

 ドラクエ10を居間のMacBookから遊べるようにするのは結構簡単だった。その過程をブログ記事にしようと思って下書きがされているが、たぶんそれは完成しない。

moonlight-stream.org

を見れば大体わかるが。

 とにかく、私のWindows資源はあまり有効活用されていないのだが、先日Windowsで開発環境を整えたという記事を見た。

r7kamura.com

 なので自分でもやってみるかと思い、Mac上のリモートデスクトップで使いづらい場所においてあるWinタワーにアクセスして、ちまちまと環境を整えてみた。

 上記のブログももちろん参考にはしたが、一番見たのは以下のページ。

docs.microsoft.com

 大体この通りにやっていけばいい。これでUbuntuをインストールしその上でgitを使い、dockerはDocker for  Windowsを使うことにし、Windows TerminalからPowerShellタブを開きそこからDocker for Windowsと、もう一つのタブでUbuntuを使うという形にした。エディタはWindows側にVisual Studio Codeをインストールしてそれを使うことにする。

難所

 この環境を整える上でハマった、一工夫したところだけピックアップする。

MacSSHキーの移行

 MacリモートデスクトップからWindowsを使っているので、普通にコピーアンドペーストすりゃいいだろ、と思っていたら、実際にカギを使おうとしたときにusekeychainというオプションがBadだと言われる。ググってみたところ以下の記事を読んで解決した。

gotohayato.com

Emacsキーバインド

 Macでテキストを編集するときのカーソル移動に関する標準キーバインドEmacs風である。私がEmacsを使っていたのは大学在学中の6年間だけなのでそんなにEmacsキーバインドに詳しいわけではないが、行末移動Ctrl-E、行頭移動Ctrl-A、上下移動Ctrl-P Ctrl-N、一文字前Ctrl-F、一文字後ろCtrl-B、1行カットCtrl-Kくらいは使う。そしてこれがMacOSXでのテキスト編集時のカーソル移動のスタンダードなキーバインドだ。これが使えないと個人的にはだいぶしんどい。

 なので、せめてVSCodeではこのキーバインドを使いたいと思い、以下の記事を参考に、Awesome Emacs Keymapを入れた。

qiita.com

 思わぬ盲点としては、ファイル保存のショートカットがCtrl-X Ctrl-Sになってしまうことだが、10年以上前の大学時代を思い出し、そうだ、Emacsの保存はこんなショートカットだった、と感慨にふけったりした。

IME オン/オフ(リモートデスクトップ環境固有)

 MacではCtrl-Spaceで入力切替をするようにしていたが、リモートデスクトップからWindowsを使っていると、同じキーで入力切替をすることができない。なので、次の記事を参考にShift-Spaceで入力を切り替えるようにした。

cloud-work.jp

WSLを入れただけではLinuxGUIアプリは使えない

 らしい。先に開発環境をWindowsに移行している夫談。LinuxGUIを使いたければHyper-Vなどで仮想環境を作る必要があるらしいが、今回使いたいのはgitくらいなのでやめておくことにする。

 それならgitもWindowsのを使えばいいじゃんとなるが、Windowsのgitには問題が多いらしい。これまた夫談。

 

 今まではMacを使って開発をしてきたが、それと今回整えたWindows環境を比べての利点と難点を述べる。ちなみにMacでも使っているのはDocker、git、VSCodeである。

 また、現状ではWindows上ではリファクタリング第二版の第一章を(テスト実行、コミットなども含めて)写経する程度にしか使っていないことも言っておく。

 

 

利点

 Dockerが速い。マシンスペックの差もあるので単純な速度比較はできないが、それでもMacBook Air 2018では20秒以上かかっていたテスト実行が5秒で終わる。速い。

難点

 VSCode上からのGUIを使ったgit使用ができない。一応Windows版のVSCodeにはウィンドウの左下の緑色の><アイコンからWSLに接続することができるのだが、それをしてもGUIからLinux上のgitが満足に使えない。前回のコミットから変更のあったファイルの検出もうまくできないし、pushはいつまで経っても終わらない。

 なので普通にCUIからgitを使う必要がある。普段からそうしている人には何の問題にもならない点ではある。

 あと、WindowsのDockerはビルドすると以下のメッセージが表示される。気になる人は注意されたし。

SECURITY WARNING: You are building a Docker image from Windows against a non-Windows Docker host. All files and directories added to build context will have '-rwxr-xr-x' permissions. It is recommended to double check and reset permissions for sensitive files and directories.

まとめ

 Dockerが速い。これだけで開発のストレスがだいぶ軽減される。ちなみになんでLinuxのDockerではなくWindowsのDockerを使っているかというと、この先Webアプリを開発するときにブラウザからの動作確認がしやすそうだからという理由である。

 gitはLinux側のを使う理由は上でも述べたが、Windowsのgitは罠があるという話のため。

 仕事でWindowsを使う予定は今のところないので今回整えた環境は趣味で使っていくことになるが、その趣味レベルであっても、MacのDockerだとテストが遅すぎてしんどい思いをしたリファクタリング第二版の写経(リファクタリング、テスト、コミットの一連の流れ)がかなり快適にできる。

 さらにリモートデスクトップを使っているため、実際に手で触るマシンは慣れ親しんだMacBookであるというのもいい。英字キーボードのMacBookリモートデスクトップを使っているが、今のところ入力に困るキーは一つもない。左上にあるチルダもちゃんと入力できる。

 しばらくはこの環境でいろいろといじっていきたい。

35歳未経験からプログラマ(アルバイト)になって1年経った

 なんで35歳未経験でプログラマになったのかという話は前に書いたのでそれを見ていただきたいです。

kze.hatenadiary.jp

 この記事を書いたのは2020年1月末ごろの話だけど、実はプログラマの仕事は2019年6月半ばくらいから始めていたわけです。

 仕事を始めた時点でのスキルセットを軽く書いておきます。

  • 工学(情報系)学士
  • UNIXシステムの管理補佐のバイト経験あり
    • 基本的なファイル操作コマンドやパーミッションの概念などが身についている
    • MovableTypeをカスタマイズしてCMSとして運用できるようにした経験あり
  • シェルスクリプトなどを用いたテキストデータクレンジング経験あり(請負業)
  • ITパスポート持ち
  • 大体の言語にキャッチアップできる基礎はあると思っていた
  • Gitはよくわかってない
  • テストもほとんど書いたことがない
  • 継続したサービスの運用経験は無し
  • チーム開発経験無し

 こんな状況で仕事を探していたところ、GMOペパボさんにお声がけいただき、アルバイトのプログラマとして働き始めることになりました。なぜアルバイトかというと、まだ子どもが小さく、私自身も持病があり(障害者手帳持ちです)主治医の意見もあって、いきなり長時間働くのではなく時短の6時間、週4日で働くという話になったからです。今もこのペースで働いています。

 で、働き始めて1年経ってどうなのかということを振り返ろうと思ってこの記事を書いています。

 働き始める前に不安だったことは主に2点。チーム開発が務まるのかということと体調面で勤め続けられるかということです。

 まずは非常に個人的な都合である体調面について話そうと思います。

 大学生の頃に発症した統合失調症のせいで、長時間、長期間の労働ができない人生を送ってきました。プログラマの仕事でもそうなったら嫌だなと心から思っていました。

 実際に仕事を始めてみて、向いている仕事だとは思いましたが、それでも月2回前後のペースで体調を崩し、お休みをもらうことがありました。しかし、この問題はウルトラCで解決します。コロナウィルスが引き金となった在宅勤務開始によってです。

 体調を崩す一番の原因がどうやら通勤で体力を使うことだったようで、在宅勤務が始まってからはほぼ体調を崩さずにやってこれています。弊社はこれからも在宅勤務メインでやっていくという話なので、個人的に非常にありがたいです。

pepabo.com

 そしてチーム開発が務まるのかという話ですが、こちらもなんとかやっていけています。

 そもそもチーム開発において何が一番不安だったのかというと、他の人の書いたソースコードを読むことができるのか?という点です。自分が書いたソースコードすら時間が経てば読めなくなってしまうのに(読めない自分のコード実例)、他の人が書いたソースコードを読むことなどできるのだろうか?と心配していました。

 けれども、ソースコードは全部理解しなくても重要なところを読み込めればそれでいいということに割と早い段階で気づくことができ、それからはソースコードを読むことへの不安は消えました。

 これは、読みやすいコードというものを書き、保守してきてくださった先輩方があってのもので、非常に学びがありました。そして時間が経ったら読めなくなってしまった自分のコードがいかに未熟だったのかということを痛感しました。

 また、コードレビューという文化もチーム開発ならではのものです。自分が書いたコードに対し、先輩方からご意見をいただける貴重な機会です。このコードレビューという機会に接してようやくGitというかGitHubの素晴らしさがわかりました。

 まだまだ一回ではLGTMをいただけませんが、自分だけの主観的なコードではなく、他の方から見たわかりやすさを意識するようになったという点には、一人だけで趣味のコードを書いていただけではなかなかたどり着けなかったでしょう。

 これだけでもチーム開発に関われて良かったと本当に思います。

 また、趣味から一歩先にといった点ではテストを書くというのも大きかったです。私の今の業務は1からコードを書くことは珍しく、他の人のコードを改修する仕事がメインです。なので、改修がうまくいったかどうかはテストが通るかどうかに頼るところが多いので、既に書かれたテストは財産だと感じています。自分でも、この財産を少しづつ増やしていければと思っています。

 私の趣味のコードは一度書いたら書き捨てになるものがほとんどだったので、やはり仕事として現在運用されているシステムのコードに付き合わなければ、テストの大切さを実感することはなかったでしょう。

 そしてチーム開発といえばやはり重要なのはコミュニケーションでしょう。特に在宅勤務になってからは、ほぼテキストベースのコミュニケーションになっています。

 これは対面ベースのコミュニケーションと比べ、ソリッドだという印象があります。ソリッドというのは、相手の意見も分かりやすいし、自分の意見もちゃんと言いたいことを形にする必要があり、結果(たぶん)分かりやすくなっているということです。

 一方で対面ベースのコミュニケーションは、まだ意見が固まっていない段階で相談するのに向いているという点が挙げられると思います。会議などはその際たるものでしょう。なので、在宅勤務ではこの「まだ固まっていない意見や方向性」をどうしていくのかという課題があると思うのですが、そこでボイスチャットなどが果たす役割が大きいと感じています。

 そしてこれは弊社の特徴なのかも知れませんが、テキストチャットが非常に和やかです。おかげさまでちょっと被害妄想気味なところがある私でも皆さんとワイワイやっていけてるなぁと思います。これは直接技術には関係しないと思っていても、この空気のおかげでやっていけてる面は多分にあり、やはりチーム開発、というよりみんな(開発職だけではなく、他の様々な職位の皆さんという意味)で仕事をやっていくというのはいいなぁと感じることしきりです。

 というわけで仕事を始めて1年、思い返せば良かったことが非常に多く、実りある1年でした。

 これからもこの会社で良い関係、環境を築きながら仕事ができればいいな、と心から思います。

政治とかの話は「ムカつく」

 SNSなどで政治とかの話をしたくない人は一定数いる。かく云う私もそのひとりであった。なぜかというと、嫌悪感が先に立つのだ。

 でも、そこで感情を受け止めつつもなぜ嫌悪感を覚えるのか分析していきたい。

 嫌悪感を覚えるのはなぜ?と考えた時、自分の中で一番しっくり来る答えが「ムカつくから」だった。政治の話には、ムカつく。だけども本当はムカつきたくない。なるべく見たくないと思う。だから嫌悪する。そういう順番のように思うのだ。

 続けて、政治の話にムカつく理由を考えたい。

 政治について話をする時、きっと頭の中には「こんな社会だったらいい」という理想があるのではないだろうか?

 その理想を誰かと共有して、一緒に叶えていく。それが政治的活動の基本だと私は思う。

 けれども、その理想が誰とでも共有できるとは限らない。自分が嫌うところを理想として語る人もいる。

 これだけでも政治の話がムカつく理由になるけれど、もう一つ大切なことがある。

 理想とは個人の体験から生まれるものだ。だからこそ、その理想はとても大切なものであり、誰かに批判されたり自分の理想と正反対の意見を見たりするとムカつく。

 政治の話はムカつくから見たくない。嫌悪する。その心の働きはとてもよくわかる。

 しかしながら、そこでムカつくからと立ち止まり、目に入れないだけでいいのだろうか?

 ムカついているということは、怒っているということだ。政治の話は怒りたくなるほど大切なことなのだ。

 その怒りをなかったことにしてやり過ごし、好きな話だけをするSNSの活用方法はあるだろう。

 けれども、自分はそうするにしても怒っている人まで止めてはいけない。怒りをなかったことにして大切なものを守ろうとする人がいる一方で、怒り語ることで大切なものを守ろうと決心した人がいるというだけの話なのだから。

つよつよエンジニアは何が強いのか

 私の夫は割とつよつよなプログラマだと思っている。

 そんな彼に今日やった凡ミスの話をし、「こんな凡ミスするなんて私はよわよわプログラマだよー」などと続けたら、「それは違う」と割と強く言われた。

「そういううっかりミスは誰でもするから、そこがよわよわとかいうのは違う」と。

「じゃあつよつよプログラマはどんなところがつよつよなの?」と訊いてみたらなんだか禅みたいな答えが返ってきたのでちょっと書き残しとく。本人の了承済み。

 

 夫曰く。

「つよつよなプログラマは道の選び方が上手い」

「道?」

「そう。ある機能を実現するのに、様々な方法がある。グネグネとしてるけど最短距離を行く方法とか、遠回りだけれどまっすぐな方法とか。そして時に最短距離よりも遠回りの方がいいことがある」

「ふむふむ」

「あと、言い換えが上手い。これってこういうことでしょ?みたいな」

「なるほど(抽象化とか本質を見抜くとかそういうことかな)」

「これは道の例えで言うとゴールの設定が上手いって話にだいぶ近い」

「(ちょっと違ったっぽい)ゴールの設定が上手いってのは必要条件と十分条件を適切に見つけることができるってこと?」

「うーん、そうかなぁ。それは近いなぁ」

「じゃあ、抽象化とか本質を見抜くとかそういうこと?」

「それも近いけど、うーん」

「なんか、ズバッとこれだ!って感じではない?」

「そうだねぇ」

「なるほど。ありがとうー」

 

 というわけで、割と感覚的な話だとは理解したので、ここで質問は終わり。

 でも、道かぁ。プログラミングという実物的なものごとについて話しているのに、禅みたいな話が出てきたのがものすごく面白かったです。

文系が理転してプログラマになろうとしたけど結局15年ほどかかった話

まぁこんなお題でなんか書いてみようかなと。書き終えてみたら3,000字程の長文になった。

【追記】2020年5月31日に一部補足的な文章を加えました。

高校時代

あまり勉強はしないけれども国語が得意で数学が苦手だったので、高校1年の頃には文系に進もうと心に決めていた。心理学とか哲学とかやって人間について考えたかった(心理学は実はそういう学問ではないらしいとはこの頃はまだ知らなかった)。

でも、転機が訪れる。高校2年生のとき、当時好きだったロスト・ユニバースというラノベのあとがきに相対性理論を崩せる人募集と書かれており、じゃあ相対性理論を勉強してみようと思って高校の図書室にあったニュートンという科学雑誌の特集号を読んでみることにした。

そしたら面白すぎた。本は相当読んでいる方だと思っていたけれど、本の内容が面白くて電車を乗り過ごしたのは初めてのことだった。

なので理転して物理学を学ぼうと思った。でも、実はこの選択が逃げであったのも当時から認識していた。私は国語が得意だと思っていたけれど、その得意なフィールドで大学受験に挑んだらもし失敗した時に辛すぎる。どうせ受験に失敗するなら理系分野の方が自分に言い訳が効く、などという謎の卑屈な精神も手伝って理転を決心したのだ。

しかし、理転するにしても1年次の進路調査票で文系クラスに進みたいと答えており、そのため3年次のクラスが文系になることはもう決まっていた(1年次で保留にしとけば2年次の選択で文系理系選べたんだけどね)。

なので、数学3Cと物理は未履修のまま受験に挑むことになった。そしてそんなに熱心に勉強していたわけではないので(そもそも自分に言い訳するための理転だし)理学部に落ちて浪人することになった。

でも、この浪人になった時は就職氷河期で、高卒で就職しようとしていた友人たちは片っ端からフリーターになった。それを見て、さらに色々と考えたのもあり、手に職をつけて一生働き続けられるようにならないとと思って志望学部を工学部に変更した。そしてその頃はインターネットが一般に普及し始めたところでもあり、それが面白そうだから情報系の学科を目指してプログラマになろうと決めた。

プログラマになって手に職をつけて、結婚してもバリバリ働こう、そう思った。

それから数学3Cと物理を一生懸命勉強した。どちらも予備校の個別指導の先生に見てもらって、記述式の対策をみっちりした。個別指導の学費のためにバイトもしなければならなかったのが辛かったけれど、それは女のお前に学費は用意していないという両親の元に生まれたのがまぁアレだった。これ平成の話ね。あと独学だと勉強できない自分の性格のせいもある。

でもバイトしてるせいで模試はほとんど受けられず、自分の実力がイマイチわからないまま本番に臨むことになった。

しかし合格はした。第一志望の大学の第一志望の学科だった。

大学時代

入学して一人暮らしの生活が始まった。大学では電気回路とか離散数学とかプログラミング演習とか色々やった。特にプログラミング演習や離散数学などの情報系の授業が楽しかった。

さらにバイト先として大学内の情報管理センターに雇ってもらい、そこでUNIXなどに触れ、HTMLやCSSC言語JAVAなども勉強させてもらった。非常に良いバイトだった。

が、残念なことに受験期を抜けてまたそれまでの勉強しないモードに入ってしまい、苦手な電気回路などの授業は聞いているだけでは理解できないのもあって単位をポロポロ落とし始め、更にどんどん毎日がしんどくなっていって、ある日あまりにもしんどくて周りが見えず交通事故に遭いかけたのがきっかけで大学の保健管理センターにある精神科の門を叩いていた。

そこでは数ヶ月単位で時間をかけて診察していただき、最終的には統合失調症だろうという診断結果が下った。

その頃には単位も随分と落としていて、1年の留年では卒業できないくらいになっていた。最低でも2年留年しないと卒業できない。

薬はもらっていたけれど、今思うとあまり効いてはいなかった。常に首を切りたいという妄想にかられ消耗し、起き上がるのすら困難な日もあった。

そんな中なんとか単位を取って卒研に着手しそれを書いて卒業できたが、卒業時には消耗しきっていたので一人暮らしをやめて実家に帰ることにした。

大学卒業後

それから2年くらい引きこもっていた。この頃のことはあまり覚えていない。

ただ、プログラマになって手に職をつけてバリバリ働きたいという入学前の希望からは随分と遠いところに来てしまったのが悲しかった。

それからお寿司屋さんのチェーン店でのパートを始めて少しづつ社会復帰を目指した。2年にならないくらいのところでもう大丈夫だと思ってフルタイムの契約社員に転職したが、そんなに単純な話はなく体調の不良が態度にも出てしまったため、契約満了で辞めることとなった。

ここで仕方ないので障害者手帳を取り、今度は障害者枠で勤め始めることにした。この頃にはもうプログラマになりたいという思いはだいぶ燻っていた。もう30歳ぐらいで職歴もボロボロだし、無理だろうなぁと。そもそも実家を出られるほど体調が良くないため実家から通える範囲の仕事探さねばならないが、それでプログラマの仕事はほとんどなかった。

だから障害者枠の事務仕事を見つけて勤め始めたが、1年とちょっとで体調が悪化し入院するほどになったので辞めることになった。

ただ、この間も暇を見つけてはプログラミングをしたりウェブサイトを作っていたりしていた。スクリーンセーバーを作ったり、画像ダウンローダーを作ったりなどちょくちょく遊んでいた。だから、転職する機会ごとにプログラマになりたいと思ったりしたが、まぁ病気のこともあり諦めがちだったのだ。

そしてもうどん底だなぁというところでTwitterにネガティブをぶつけていたら、大学時代の先輩から助けの声がかかり、それがきっかけで先輩と結婚し、上京することになった。

結婚してから

そして新婚生活は夫は仕事へ、私は就労移行支援事業所へ通うというものになった。また、週一くらいで某社のプログラミング教室にも通い始めた。そんな生活が約2年続いた。プログラミング教室を開いてくれていた某社さんに就職したいと考えることは何度もあったが、もしうまく行かなかったら怖いという卑怯な逃げ心でついぞそれを言い出すことはできなかった。ここで懺悔します。ごめんなさい。 

それから就労移行支援事業所経由で小さな広告会社のウェブ担当の仕事を見つけたが、すぐに子どもができて色々勘定した結果短期間で辞めることにした。出産してからしばらくは夫が育休を取ってくれていたけれど、それが終わったら日中子どもと二人きりの生活だった。そんな中知り合いの方からプログラミングで効率化しないと終わらない類の自宅でできる軽作業の請け負い仕事を紹介していただき、それをこなしたりしていた。それと並行するような形でプログラマの仕事も探していた。

子どもが生まれてから不思議なことに病気も随分良くなり、10数年ぶりにポジティブな気持ちが続いていた。

今度こそプログラマになるのだ、そう思っていた。インターネットは大学受験前に夢見た通り楽しかったし、趣味でやるプログラミングも楽しかったからだ。それに、35歳未経験はもう手遅れかもしれないけれども、もしここで今までみたいに職種にこだわらず見つかった仕事に手をつけたら、本当にプログラマにはもうなれないと思った。

だから何社も受けてはみたが、色々なビハインドがあるせいかなかなかプログラマの仕事には受からなかった。

そうしているうちに、夫の出張についていく形でRubyKaigiに参加したのがきっかけで、知り合いの方からウェブ系の会社の仕事を紹介していただいた。どうも私が書いたQiitaなどを見てくれていたらしい。

そこはとても柔軟な働き方を許容してくれる会社で、子どもがいるから6時間の時短勤務で、さらに持病の様子を見るために週4のアルバイト勤務をお願いしたい、という私の希望を容れてくれた。障害者手帳があっても大丈夫だと。そして職種はプログラマ。運よく子どもを預ける先も見つかり、ここで働くことになった。

まとめ

もう一度言うがこの時点で私は35歳。プログラマを目指して大学に入学したのが19歳の頃のことだから、そこから数えると16年ほどかかってようやくプログラマという職につけることになった。大学卒業時から数えると10年か。

持病のこともありバリバリ働くという感ではないが、それでも憧れた仕事にようやく手が届いた。ちゃんと手に職がつくかはこれからの働き次第だと思うけれども。

頑張ります。