なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

伝えたいから残すんだ、そして覚えていてほしい

 人が最後に望むことは、「伝えたい」ということだ、という話がある。

 また、ある漫画家さんのあとがきにあった話だが、「自分の単行本を見ていると、残る仕事を選んでよかった」というものがあり、この言葉は私の心に非常に鮮烈な印象を焼き付け、同時に羨ましいとも思ったものだ。

 そして私の話だが、私は今よりずっと消え入りそうな気持ちでいた頃、夢を見ていた。私が描いた絵を世界の誰かが覚えていてくれたらいいな、そういう夢だ。インターネットの片隅でひっそり公開している、自分の絵。見てくれている人は少ないかもしれないけれども、確かにいることは数字として現れている、そんな絵を。

 私は結構いろいろなことを覚えている。たった一回掲載された短編漫画とか、雑誌の投稿ハガキの内容とか、そういうことを。それらを思い出すたびに、私が覚えているということを作者は知らないのだということがなんだか信じられなかった。でも、だから夢を見られた。私のことも、私が知らないところで覚えてくれている人がいる、と。

 自分のことを伝えたい。そのために何かを(そう、漫画に限らず何かを)残したい。そして、自分がここにいたことを覚えていてほしい。

 これは多分、創作の動機というものすら超えた人間の根源的な感情なのではないのかと思う。なぜなら、人は生きているのならばカタチの有無にかかわらず何かを残すからだ。

 それはきっと誰かが見つけてくれるのだ。少なくともそう信じる限り、私たちの存在は透明にはならない。

 私の話に戻るが、私の絵を覚えてくれている人はちゃんといることがネットを通じてわかった。奇跡みたいなことってあるんだな、と思った。

 インターネットのおかげで、その奇跡を信じられる時代になったし、実際に奇跡が起こる時代になった。インターネットが変えたことは数多いけれど、私にとっては、もしかしたらささやかかもしれないこの奇跡が、一番大きなものだと思う。

 

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kze.hatenadiary.jp

空気感

 最近pixivの某ランカーさんと知り合いになりまして、絵に対していろいろとアドバイスをもらいました。

 そのアドバイスの中で一番響いたのが、「背景は白でもいい。空気にすればいいんだから」というのがありまして。

 そのアドバイスそのままにはなりませんでしたが、背景が空気になるように色を塗ってみたつもりです。

 あと、グリザイユ画法も勧められたので、それで塗ってみました。

 少しは成長してるかなぁ…。

【博麗霊夢】「霊夢陰陽図」イラスト/禎波ハヅキ(KZE) [pixiv]

こどものせかいはやわらかい

 自らを省みるに、子どもの頃の世界というのは柔らかくて曖昧な世界だったな、と思う。

 よく、痛いことの代名詞として言われる中二病があるけれど、私も御多分に洩れず中二病だったな、と思う。と言うよりも、中学二年生くらいだった頃はまだ世界が固まりきっていなかったな、と思うのだ。

 例えば、霊能力があるという友人の言葉を半分くらいは真に受けていた。そんなものはないと大人たちは言うけれど、でも本当はあるんじゃないか、って真剣に考えていた。そして同時に不安にもなっていた。「どこまでが本当の世界かわからない」と。そうした不安というかある種の恐怖は、経験が足りないゆえに世界の境界が曖昧だったからこそ感じるものだったのだろうと思う。

 それと同時に中二病っていうのは、大人になって振り返ればなんでそんなものを信じた言動をしてたのかわからなくってただひたすらに自分を痛く感じるけれども、でも当時のことを真剣に思いだしてみると、自分の世界の境界が曖昧で、その分超能力から異世界やとにかく自分はすごいという全能感などといったありとあらゆる可能性を世界に感じることができていた時間なのではないのかな、と思うのだ。

 世界に対する恐怖と全能感、全く違うベクトルのこれらは、しかしその源は世界の境界の曖昧さというもので同一であると考える。世界が曖昧だからこそ、怖い。世界が曖昧だからこそ、なんでもできる気がする。

 今、子どもの頃よりは長い時間を生きてきていると、経験が世界の境界を固めたのだと思う。霊能力はない。そんなものを経験したことがないから。自分はすごい人間じゃない。そんな大した経験は積んでいないから。でもその分、世界はくっきりと安定している。

 私は時間が過ぎ経験を積むことにより、曖昧で良くも悪くもあらゆる可能性があった世界の境界を固め、可能性は狭まったけれども安定はしている世界を手に入れた。

 それが良かったのか悪かったのかはわからない。

 けれども、ここに来るまでに曖昧な世界を通る必要は確実にあった。あの頃世界の境界がわからなかった自分は、とても不安定で、でも可能性に満ちていた。それはきっと幸せな子ども時代の一つの形でもあったのだと思う。