なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

恋空 後編

 白状します。マジ泣きしました。
 以下、ネタばれ感想というかなんかただの駄文。


 とりあえず悪名高い無菌室でのHシーンがないことにちょっとびっくりした。あれは映画だけの話だったのか。だからって河原でとかもどーかとは思うけど。
 文章の巧い下手は、もう携帯で読むこと前提のものと本で読むこと前提のものでは文化が違うと考えた方がいいだろう。私は携帯もしくはPCから全部読んだのだけれど、PCからでも文章を表示する部分の幅が狭いことも手伝ってか、頻繁な改行なども演出として受け入れることができた。でもこれは多分本という形で読んでいたら余白が広すぎてページがすかすかなのに腹が立ったと思う。一人称なのか三人称なのか分かりづらいというか視点が固定されていない地の文も、そのうちに慣れてしまった。ヤキモキ焼く、というのも気をやきもきさせるという慣用句と混ざってしまったのだろう。
 さて、肝心な内容についてなのだけれど、私は正直主人公の美嘉のことがうらやましいと思う。友達や恋人、家族との気持ちをすれ違わせたりそれを越えて仲を深めたりして、まさしく『青春』を謳歌しているからだ。私は美嘉が体験したような、ある種の狭いつながりの中の濃い人間関係を築いたことがないのでそう思うのだろう。
 この作品を批判する中でよく聞くのが、レイプされて妊娠して流産して自殺未遂して恋人を死なせてというようにとりあえず劇的な展開を並べて、それで涙を誘おうと思っているのか?というものだ。しかし読んでみれば分かるが、この作品は単純にそれらの劇的なエピソードを並べ立てているだけな訳ではない。レイプエピソードに関してはそうでもないが、その他のエピソードについてはちゃんとそれまでに伏線が張ってあったり、その事件自体が後の展開への伏線となっていたりする。前者に該当するのがペアリングの行方、後者に該当するのが流産だ。特に後者の流産は、毎年訪れるお参りのエピソードにつながり、それが美嘉とヒロの決別とささやかなつながりを示すものになったり、優の愛情深さを示すものになったり、美嘉とヒロが再び付き合い出すきっかけになったりと大活躍している。
 この作品には確かに感動があった。それは単に死別という結果が悲しいのではなく、その結果に至るまでの過程が愛おしいのだ。出会ったときには、ヒロのことを怖いと思っていた美嘉、美嘉のことを落とそうとしか考えていなかったヒロ。そんな二人が、いろいろなことを経験しながら惹かれあっていく。そしてその想いは、死という壁を目の前にしてますます深まっていく。その二人の気持ちを地の文をこねくり回してこってりと解説したりはしない。美嘉の視点から短いセンテンスを並べシンプルに伝える手法。そんなシンプルさが、今まで読書をしなかった層にうけたのだろうし、逆にしっかりと読書をしてきた層には物足りなさや説明不足の理不尽さを感じさせたのであろう。


 しかし何はともあれ物語は楽しんだ者勝ちだ。私は楽しめた。よかった。
 あ、だけどやっぱりHする場所は選んだ方がいいと思うし、ゴムもしっかりした方がいいと思うよ。