なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

エンジェル・ハウリング雑感

 今日、エンハウ10巻第7章からのクライマックスを読み返した。エンハウは私が一番好きな物語だが、それはこの物語で描かれているテーマが『信じること』についてだからだ。私は10年来の友人の友情さえも疑うような人間だった。そんな私にとって、この物語で語られている疑い、隙間の話は常日頃感じていたことであり、そしてその隙間をどうすればいいのか、この物語はそれに決着を付けてくれたと思っている。
 私たちは自分の脳が作り上げた世界を認識して生きている。見たもの、聞いたもの、感じたことは全て器官が感じた電気信号を脳が感知し作り上げたものだ。そして私たちは、その脳の作った世界の檻の外に出ることは決して出来ない。そんな世界に生きる我々は、他人のことをどのくらい理解できるのだろう?その他人は自分の脳が作り出した産物であり、真の他人を認識することは不可能なのに。私がこう考えている世界認識と、ベスポルトの語る真っ暗闇の世界は非常に近しいものなのでは?と感じた。真っ暗闇の世界は、隙間だらけの世界だ。見て、聞いて、感じて、わかったと思ってもそれは自分の脳の中での出来事だというだけの話であり、本当のことは何もわからない。そんな世界に私たちは住んでいる。
 そんな疑いは、恐ろしい。だからほとんどの人は、そんなことは気にせずに生きている。でも、それでいいのだ。その恐ろしさに対して私たちが出来ることは信じることだけだからだ。もうずっと、人は信じることしか出来なかった。自覚的であれ、無自覚であれ。
 それと、今日読み返したことでアマワは一体何の使いだったのか、やっとわかった。アマワは人の使いだったのだ。人が隙間を恐れ、それを排除しようとしたときに現れた。その隙間が排除されれば、この世に未知は無くなり、未来は約束される。だからこそアマワは未来精霊だったのだと思う。


 とりあえず今日はここまで。気が向いたら続き書きます。言葉=愛だということについても言及したいので。