なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

意識的にかく恥

 『恥の多い生涯を送って来ました』との出だしで始まる人間失格を読むのを挫折した私ですが、恥の多い人生を送っている最中です。どこで恥をかいているかと言うともう人生のあちこちで恥をかいています。身の丈に合わないことをしたり、なんでもないことをさも得意げにひけらかしたり、勘違いしたり、本当にいろいろです。恥ってのは本当に恥ずかしいので、出来るだけかきたくないものです。
 けれども私は、これは恥ずかしいと思いながらわざと恥ずかしい思いをしにいくことがあります。もちろん無意識にやってしまって後から恥ずかしいなぁと思うことの方が断然多いわけですが、けれどもメリットがあると信じあえて恥をさらすこともあるわけです。
 では、恥をかくことによって得られるメリットとは何なのか?それを考えたいと思います。

自分に対する評価を補正してもらえる

 まずは、自分の恥をさらすことで自分に対する評価を正確につけてもらえる、というメリットが考えられます。どんな方に対してもこのメリットは有効に働くと私は考えています。私がここでこうして書いている文章も、一浪二留もして就職も決まらない大学学部生が書いている、ということを知って読むのと知らずに読むのとではずいぶん評価が違ってくると思います。そして更に言うのなら、自分の恥をさらしてそれを知った方がどういった反応をするのか見ることで、失礼ながら自分も相手の方がどんな方なのか推し量ることができます。下世話な話をついでにしますと、私は一浪二留のアウトローに接したときに警戒をする方は良い意味で常識的な方だと判断します。一留はともかく、二留もしたからには何らかの事情があるはずだからです。

教えてくれる方の手間を省ける

 次は、人にものを教わるときに恥をかきます。ものを教えるとき教える側の方が一番困るのは、教わる側の人が何を知らないのか、どこを理解していないのかを把握することです。そこで、自分が知らないこと、曖昧になっているところをちゃんとさらせばその分教える側の方の手間が省けて効率的にものを教わることができます。また、このときに自分でも正しいと思っていることをあえて多少得意げに口に出してみるのもありです。もしそれが間違っていたとき、ほぼ確実に突っ込みを入れてもらえます。ただ、もしそれがなんらかの理由で突っ込みを受けなかったときには、なんだこの生意気なヤツはという反感を持たれる上単なる恥になるだけなので諸刃の剣ではありますが。いえ、その生意気に見えるところがもし間違っていたときに叩いてもらえる要因になるのですけどね。

自分と違う価値観に出会う

 そして、自分とは違う価値観に出会うためあえて恥をさらしてみるのもあります。自分では恥ずかしいと思っていることでも、他の方の目から見たらそうでもなかったり価値を持っていたりすることがあるからです。ただ、これは本当にただ単に恥ずかしいだけの結果に終わることも多いですが。

おわりに

 私が今まで無意識にせよ意識的にせよ様々な恥をかいてきた中で、メリットになりそうなことはこのくらいかな?と思います。メリットがあるつもりで意識的にかいた恥の失敗談というのもあるはずなのですが、お恥ずかしながら忘れてしまいました。
 というわけでまた一つ恥をかきました。でも私が一番恥ずかしがるべきなのは、こうした羞恥プレイをどこかで楽しんでいるところのような気がします。