なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

『必然』のある絵

 G戦場ヘヴンズドアというマンガを読んで、ふと思ったことがあります。私じゃないと描けない、私が描く必然のある絵というのは本当にあるのだろうか?ということです。
 十数年絵を描いてきて、最初は好きだと思った絵を模写することが楽しかったです。そのうち、二次創作として好きな漫画のキャラクターを自分で一から描いていく、ということが出来るようになり、それも楽しかったです。そして自分が好きだと思った要素をパッチワークしてオリジナルキャラクターを作り、その絵を描くことができるようになりました。それも楽しかったです。そしてやっと、自分が何となくイメージしたものを世界にして絵を描く、というステップが見えてきました。極まれに、そんな絵が描けます。そんな絵は、たとえデッサンが出来てなかろうとなんだろうと、好きな絵になります。でも逆に言えば、そんな絵は滅多に描けません。
 そう、私はこんな世界を描きたい、というモチベーションが異様に低いのです。本当に絵描きとして絵を描くのならば、自分の中にある世界を表現するのが正しいとわかって入るのですが、その『自分の中の世界』がなかなか創れないのです。何となくこんな世界がいいと思っても、その想像のレベルが恐ろしく稚拙なのです。たくさん絵を描いてきたと同時に絵もいろいろと観てきましたが、『自分の中の世界』が創れるかどうかが『いい絵』が描けるかどうかの境目なのだと思います。そしてそれは天賦のものではないかと疑っています。『自分の中の世界』というのは技術的に身につけるものではなく、それこそ、その人が描く必然のある絵になるからなのではないかと思うからです。
 そして、表現したい世界がほとんどない私は、自分が描く必然のある絵、自分じゃないと描けない個性のある絵は描けないのでは?そう思ってしまうのです。
 じゃあ何が楽しくて絵を描いてるんだよ?と言われそうですが、頭の中にあるものをカタチにする作業自体に喜びを感じて描いています。それが稚拙だろうと、なんだろうと。