なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

美容と健康

 27歳にしてようやく、美容と健康に気を使い始めるようになりました。

 まずは健康。高校生ぐらいの頃は健康を気にする人を馬鹿にしてました。人間死ぬときは死ぬんだからそんなに健康を気にしてたって意味無いじゃん、といった具合に。けれども最近ようやく気づきました。日々を快適に過ごすには健康でいることが一番だと。寝る前にちょっと足をマッサージするとか、軽くストレッチをするとか、たったそれだけのことで翌日の寝起きが良くなったりして、朝から足が痛いとか眠いのに起きなきゃいけないとかそういう不愉快なことから解放されました。これは体だけじゃなくて気持ちに与える影響も大きかったです。

 次に美容。ナルシストだとは思うのですが自分が綺麗に見えるとやっぱり気分が上がるんですよね。パルコのエスカレーターに乗ると必ず両サイドの鏡を確認してしまうのですが、そこで自分が綺麗じゃなかったりちょっとアレな服装をしていたりすると地味に落ち込みます。逆にそこで自分が綺麗に見えたら誰に褒められたりしなくとも気分が良くなるものです。

 そしてこれら二つって自己肯定感に直結するのだな、とも思いました。やっぱり気分がどんよりしてて疲れた顔してる自分よりも、すっきりとした気分でいい顔をしている自分のほうが好きなんですよ。当たり前のことですけど。その上、こういう『気持ちいい自分』でいられるのが自分のメンテナンスの結果によるものなのだから、ますます自分を大切にしようと思う良いサイクルが出来てくると実感しています。その自分を大切にしようと思う気持ちって何事にも代えられないくらい尊いものなのだなぁ、と思います。
 子供時代は自己否定ばっかりしてて、醜い自分を見るのが嫌だという理由で鏡や写真が大っ嫌いでした。さらにその自己否定感は歪んだ上昇志向となり、自己を否定しない奴は現状に甘んじる馬鹿だとすら思ってしまい本当に毎日トゲトゲした気持ちで過ごしていました。そのくせ失敗には脆くって、なにか失敗すると脳内での自己罵倒が始まりやる気が0になってしまったり、自分で自分をいじめている毎日でした。
 自分を大切にしなきゃいけない、よく聞くフレーズです。でもじゃあ具体的にどうするの?というのが分かりにくくもありますが、私の場合は毎日のマッサージとストレッチというフィジカルなアプローチから入って、この言葉の意味がわかったように思います。

 話はかなり飛びますが、こうしたフィジカルなメンテナンスをしていて、考えが変わったことがもう一つあります。それは、人間の感情は人間の体にしか宿らないのではないか?ということです。SFなどでAIが人間と同レベルの心を持つ未来が描かれていますが、それはあり得ないのではないかと疑ってしまうようになったのです。例えば、人間だったら腕がちぎれてしまったら治らないのだからそうした危険を怖がります。でも仮にアンドロイドだったらどうでしょう?自分の機能が一時的に欠落するということでこうした危険を怖がるようにプログラミングは出来るでしょうが、最終的には直すことが可能なのですから、その恐怖は人間のそれとは全く異なったものになるのではないかと思うのです。
 そんな存在を人間の心は受容できるのか?なんてことが微妙に気になったりします。