なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

愚かな人間の矜持は天才の足を引っ張ることでしかない話

 人が賢いとか愚かとか、そういうことを断じる文言には反発を感じてしまう。
 それは、人は人の全てを見ることができないことを忘れた言葉だからだ。
 私は、一見愚かに見える人でも、私には見えないところにその人の尊厳が隠れていることを信じている。
 もちろん、目に見える賢さもまた尊い。
 だが、目に見えないものをないと思い込み、他人の全てを判ったかのように振る舞うことは、その一面において愚かだ。その人には尊敬すべきところがあるとわかっていても、そう感じてしまう。
 しかし、愚かだと感じる自分は賢者なのか?と問われると断じて否である。そもそも、賢いとか愚かとかそういう指標を『感じている』時点で愚かと言わざるを得ない。
 ただ同時に、本当に賢いということを理解していて人を断ずることの出来る天才がいるであろうこともまた否定しない。
 だが、その天才にもやはり愚かな人間なりの反感を覚えるだろう。
 私は天才の足を醜く引っ張る側の人間である。