なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

漫画『ルックバック』の修正点について

 漫画『ルックバック』で描かれる無差別殺人犯の描写が修正された。

 この修正、二つの異なる文脈で語られている。一つは京都アニメーションで起こった大量殺人事件に配慮したという文脈、もう一つは犯人が統合失調症患者であることを想起させるため配慮したという文脈である。

 この修正がどちらの文脈によるものなのか、公式にははっきりとされていない。

 私としては、後者の文脈でこの修正について語りたい。なぜならば、私自身が統合失調症患者であるからだ。

 修正前のルックバックにおける無差別殺人犯の描写は問題だと思っていた。なぜなら、妄想や幻聴を抱いた人間が大量殺人を犯すという点において、統合失調症の主な症状である妄想・幻聴が大量殺人の引き金であるように描写されており、それはすなわち統合失調症患者は大量殺人を犯しかねないという偏見を広めるような描写であったからだ。

 そして修正後では無差別殺人犯の描写から妄想や幻聴を示唆する描写は消えており、私はこの修正に安堵した。

 しかし、この修正をめぐる論については安堵してはいられないと思い、このブログを書いている。

 何に危機感を抱いているかというと、あの修正が統合失調症患者に対する配慮だったという文脈を踏まえているにもかかわらず、その修正を非難する声があることについてだ。

 修正をさせた声をクレーマーのものだというのはまだ序の口でしかなく、あの修正をさせたクレームこそが統合失調症の症状である妄想によるクレームだろう、などという発言まであった。

 なぜ、統合失調症患者の抱える妄想・幻聴という特徴的な症状が人を殺すと示唆されているものを偏見を助長する表現だと主張することがクレーマーの声と理解されてしまうのだろうか。あまつさえ、なぜその受け取り方自体が妄想的だなどと侮辱されなくてはいけないのだろうか。

 本当の差別は、ルックバックの表現に照らし出されたこうした声にこそあるのだ。

 まず、なぜあの表現の修正を望んだ統合失調症患者やその関係者の声を、文脈を理解しながらクレーミングだと受け取る人がいるのだろう?表現の修正を望む声が通るよりも表現が曲げられてしまう方が問題だという人もいた。

 きっとそう思う人々は、想像もしたことがないのだ。告げられた病名が、何をするかわからない人間の代名詞のような病名であり、その病名ゆえに自分自身も自分を信じられなくなる、そんな思いをしている人間がいるということを。まぁ、こんなことまで想像なんてできないだろうけど。

 でもせめて、差別されることを、差別が広がることを恐れる心に対して、無理解をそのままぶつけるのではなく、自分が差別される側だとしたらという想像を少しでも働かせることはできなかったのだろうか。他人に期待してはならないとはよく言うが、それでも思わずにはいられない。

 そしてそれよりもはっきりと怒りを覚えるのが、あの表現の修正を望むことが妄想の症状によるものだろうという侮辱の声である。

 なぜ、他人にも伝わる程度の普通の考えを、統合失調症患者が考えたことだからという理由で妄想だと言われなくてはならないのか?統合失調症患者に正気はまるでないと言わんばかりのド直球の差別で流石にげんなりする。どのような声をかければこのような差別主義者に考えが伝わるのか、まるでわからない。何せ相手は私たち統合失調症患者には正気なんてないと思い込んでいるのだから。

 もう一つの侮辱として、修正後の犯人像は修正を望んだ人間自身を表す皮肉になっている、という意見がある。

 差別が広がることを恐れ、行動した人々を殺人犯だとみなすのはなぜなのだろう?素直に考えると修正を望んだ人々によって殺された何かがあるということになるけれども、それがルックバックという作品だったのだろうか?あの作品の価値は、差別を助長しかねないあの表現にこそあったという意見なのだろうか。

 私には正直、ルックバックという作品の良さがわからない。だから、この点については相手の主張の妥当性がよくわからない。

 だがせめて、殺人犯に例えられた人はいい気はしない、という程度のことはわかった上での発言であってほしいと思う。決して「裏の意図を読める自分は賢い」程度の浅薄な考えではなく。

 最後に、統合失調症の特徴的な症状である妄想・幻聴は、何も知らないでいると大変に怖いものだと思う。その点については否定しない。しかし、そうした特徴的な症状が常に他人に向いているとは限らない。私の場合では自分に対して「お前は首を切れ」という声がずっと聞こえており、他人に向いたものではなかった。また、こうした特徴的な症状は陽性症状と呼ばれているが、これには薬がよく効き、治療を受けながらもこうした妄想・幻聴が固定化されてしまう人は稀である。また、こうした陽性症状を乗り越えると今度は陰性症状という、とにかくやる気が起きない状態に(多くは数年単位で)陥るが、これも統合失調症の症状の一つである。この陰性症状も乗り越え陽性症状が再発しなかった場合、寛解と呼ばれる状態になるが、これはほぼ完治と同じような意味合いである。統合失調症には再発の危険があるため完治とは呼ばないし、寛解でも再発防止のために薬は飲み続けなくてはならないが。

 何が言いたいかというと、統合失調症患者の中で他人に対して危険な状態にある人は、あなたが考えるよりもずっと少ないということである。

 どうか、病名で人を見るのではなく、その人の行動で判断をしてほしい。普通の人を判断するのと同じように。